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近現代政治家幕末〜現代

岩倉家(岩倉具視系・王政復古と岩倉使節団の系譜)

岩倉具視(1825-1883)は公家堀河家の出身、岩倉家の養嗣子として朝廷に仕え、王政復古の大号令(1867)の起草に関与した。維新後は明治政府の右大臣を務め、岩倉使節団(1871-1873)特命全権大使として米欧 12 か国を歴訪した。1883 年没、日本最初の国葬として執行された。1951-1994 年の五百円札の肖像となった。実子の岩倉具定(文部大臣・宮内大臣)・具経(外交官)が明治後期に公職を歴任し、岩倉家の系譜は近代を通じて続いた。

  • 人物
    9
  • 家族構造
    5
  • verified
    67%
  • 信頼度
    ★★
家系図
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岩倉家(岩倉具視系・王政復古と岩倉使節団の系譜) 主要人物

9 人物のうち先頭 15 名 ・ 5 家族構造
  • 1堀河康親1798-1872具視実父
  • 2岩倉具慶1808-1881具視養父
  • 3岩倉具視1825-1883従一位右大臣
  • 4誠子1837-1907具視正室
  • 5岩倉具綱1849-1910具視長男
  • 6岩倉具定1851-1910具視次男
  • 7岩倉具経1853-1890具視三男
  • 8岩倉具張1885-1969具視孫
  • 9岩倉具栄1904-1978岩倉家末裔
  • 10岩倉具張1878-1951SPARQL自動拡張
  • 11岩倉槇子1827-1903SPARQL自動拡張
  • 12岩倉具忠1933-2016SPARQL自動拡張
  • 13鮫島具重1889-1966SPARQL自動拡張
  • 14岩倉具光1886-1960SPARQL自動拡張
  • 15森寛子1864-1943SPARQL自動拡張

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もっと詳しく — 岩倉家(岩倉具視系・王政復古と岩倉使節団の系譜) の歴史と人物像を読む

岩倉家の家系図 — 王政復古の大号令から岩倉使節団へ、岩倉具視の系譜

家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Public-ready(信頼度 ★★)

[近現代政治家] [幕末〜近代] [京都・東京]

岩倉具視(1825-1883)は公家堀河家の出身、岩倉家の養嗣子として朝廷に仕え、王政復古の大号令(1867)の起草に関与した。維新後は明治政府の右大臣を務め、岩倉使節団(1871-1873)特命全権大使として米欧 12 か国を歴訪した。1883 年没、日本最初の国葬として執行された。1951-1994 年の五百円札の肖像。実子の岩倉具定(文部大臣・宮内大臣)が公爵を継承し、岩倉家の系譜は近代を通じて続いた。


概要

項目内容
一族名岩倉家(村上源氏久我家系)
出身公家堀河家 → 岩倉家養子
拠点京都岩倉村 → 東京麹町永田町
家紋笹龍胆(村上源氏紋)
明治叙爵子・具定に侯爵(1884)→ 公爵(1907)
代表事跡王政復古・岩倉使節団・国葬

代表人物

1. 岩倉具視(1825-1883)— 王政復古の起草者、岩倉使節団大使

公家堀河康親の次男として京都に生まれ、岩倉具慶の養嗣子となった。岩倉家は村上源氏久我家の流れを引く公家で、家格は羽林家。幕末期、安政五ヶ国条約勅許問題で廷臣 88 卿列参に加わり、和宮降嫁(1862)に関与した後、洛北岩倉村に蟄居した(1862-67)。

復帰後は王政復古の大号令(1867 年 12 月 9 日)の起草に関与した。維新後は右大臣・岩倉使節団特命全権大使(1871 年 12 月-1873 年 9 月)として米欧 12 か国を歴訪。木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳の 4 副使、随員約 50 名(津田梅子ら女子留学生 5 名を含む)を従えた。1883 年 7 月 20 日、東京麹町岩倉邸で 59 歳で没し、日本最初の国葬として執行された。1951-1994 年の五百円札の肖像となった。

2. 岩倉具定(1851-1910)— 次男、公爵 2 代

岩倉具視の次男。米国ラトガース大学留学(1871-1873、岩倉使節団期)を経て官界入り、茨城県知事・宮中顧問官を歴任。文部大臣(第 2 次松方内閣、1896-97)・宮内大臣(1903-09)を務めた。1884 年侯爵、1907 年公爵叙爵。

3. 岩倉具経(1853-1890)— 三男、外交官

兄具定とともに岩倉使節団に同行し、ラトガース大学で学んだ後、外交官として活動した。1890 年に 37 歳で没し、家督は継がず、兄具定の系統が公爵家を継承した。


歴史的背景

和宮降嫁から岩倉村蟄居へ

公家堀河家出身の岩倉は、孝明天皇への建白や廷臣 88 卿列参などの政治活動を行った。皇女和宮の将軍徳川家茂への降嫁に関与した後、1862 年に「四奸二嬪」の一人として尊攘派の弾劾を受け、岩倉村に蟄居した(1867 年復権まで約 5 年)。蟄居中に大久保利通ら薩摩藩士と接触したと伝わる。

王政復古から岩倉使節団・国葬へ

1867 年 12 月 9 日に起草された王政復古の大号令で、徳川幕府の廃止と新政府樹立が宣言された。岩倉使節団は明治政府最大の海外視察団で、米欧 12 か国を歴訪した。帰国後、岩倉自身は条約改正・国家建設に関与した。1883 年の国葬は後の伊藤博文・山県有朋ら元勲の国葬の先例となった。子・具定が侯爵 → 公爵を継承した。


家紋「笹龍胆」

笹龍胆村上源氏系を象徴する公家紋で、源頼朝の鎌倉源氏とも関係深い古典紋。岩倉家は村上源氏久我家の流れを引くため代表紋として用いられる。


関連する家系図

  • 天皇家 — 孝明天皇・明治天皇の在位期に右大臣・公家衆議定として朝廷の職務に従事
  • 藤原摂関家 — 公家としての岩倉家は村上源氏系の傍流、藤原氏羽林家の流れにも近接
  • 伊藤博文家 — 岩倉使節団副使として伊藤博文が米欧視察に同行
  • 大久保家 — 岩倉使節団に大久保利通も副使として同行

出典

ランク A

  • Wikidata: Q336788(岩倉具視)、2026-05-01 verified
  • 国立国会図書館「近代日本人の肖像 — 岩倉具視」、2026-05-01 verified
  • 多田好問 編『岩倉公実記』岩倉公旧蹟保存会、1906(公式伝記、3 巻約 4000 頁)

ランク B

  • 佐々木克『岩倉具視 — 幕末維新期の調停者』吉川弘文館(人物叢書)、2018

ランク C(Wikipedia、2026-05-01 確認)


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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

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プリセット ID: iwakura / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00