オラニエ=ナッサウ家の家系図 — オランダ独立の父から現代の王室まで
家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Public-ready(信頼度 ★★)
[海外王室] [近世〜現代] [オランダ・英国]
ウィレム 1 世オラニエ公(沈黙公、1533-1584)がスペイン・ハプスブルクからのネーデルラント独立戦争(八十年戦争)を主導したことに始まるオランダの王室。1689 年の名誉革命ではウィレム 3 世が英王ウィリアム 3 世を兼ね、1815 年にウィレム 1 世が初代オランダ国王として即位した。3 代続いた女王(ヴィルヘルミナ・ユリアナ・ベアトリクス)を経て、2013 年にウィレム=アレクサンダー国王が即位し、現在に至る。
概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一族名 | オラニエ=ナッサウ家(House of Orange-Nassau) |
| 家祖 | ウィレム 1 世オラニエ公(沈黙公、1533-1584) |
| オランダ王室として | 1815 年〜現代(初代ウィレム 1 世国王) |
| 女王 3 代 | ヴィルヘルミナ(1880-1962、在位 58 年) → ユリアナ(1909-2004) → ベアトリクス(1938- ) |
| 現国王 | ウィレム=アレクサンダー(在位 2013-) |
| 継承者 | カタリナ=アマリア王女(オラニエ女公) |
オランダ史の中核を担うこの王室は、16 世紀のネーデルラント独立戦争から数えて 5 世紀近く続いている。家祖ウィレム 1 世オラニエ公(沈黙公)はナッサウ伯家ディレンブルク系出身、11 歳で従兄の遺領(オラニエ公国・ナッサウ伯領)を相続しオラニエ公となった。1559 年にハプスブルク家領ネーデルラント諸州のホラント・ゼーラント・ユトレヒト総督に任じられた後、スペイン王フェリペ 2 世のカトリック強制政策に反対し、1568 年に八十年戦争を主導、1581 年の独立宣言の中心人物となる。1584 年 7 月 10 日、デルフトの自邸でカトリック教徒バルタザール・ジェラールによりピストルで暗殺された(火器による要人暗殺の世界最初期の事例)。
ウィレム 1 世の次男マウリッツ(1567-1625)・末子フレデリック・ヘンドリック(1584-1647)は引き続きホラント総督として独立戦争を指揮し、1648 年のヴェストファーレン条約でオランダ独立が国際的に承認された。フレデリック・ヘンドリックの孫ウィレム 3 世(1650-1702)は 1672 年のフランス侵略戦争を打開した英雄として総督に推戴され、1689 年の名誉革命で英国議会の招請を受けて軍を率いて英国に上陸、ジェームズ 2 世を退位させて妻メアリー・スチュアートと共同で英国王(ウィリアム 3 世)として即位した。在位中はオランダと英国の政治的連合を実現したが、1702 年に乗馬中の落馬で死去、嗣子なくオラニエ家主流男系は一時断絶した。
オランダ王室としての近代史は、フランス革命でオランダがバタヴィア共和国・フランス併合を経た後、1815 年のウィーン会議でウィレム 1 世が初代オランダ国王として即位したところから始まる。19 世紀から 20 世紀にはヴィルヘルミナ女王(在位 58 年、オランダ史上最長)が第一次世界大戦の中立保持・第二次世界大戦中のロンドン亡命政府を率いて、ラジオ放送『オラニエ放送』でオランダ国民の抵抗を鼓舞した。ヴィルヘルミナ → ユリアナ → ベアトリクスと続いた 3 代女王の系譜の後、2013 年にベアトリクスから譲位を受けたウィレム=アレクサンダーが即位し、現在に至る。家系は今も続いている。
簡易系譜
ウィレム 1 世オラニエ公(沈黙公、1533-1584、八十年戦争主導)
├── 次男マウリッツ(ホラント総督、近代軍事改革)
└── 末子フレデリック・ヘンドリック
└── ウィレム 2 世(蘭総督) ═ メアリー・スチュアート(英王女)
└── ウィレム 3 世(蘭総督・英王ウィリアム 3 世) ═ メアリー 2 世
│ (嗣子なく主流男系一時断絶)
[ナッサウ=ディーツ系から復興]
ウィレム 1 世(初代蘭国王、1815-1840)
└── ウィレム 2 世(蘭王、ワーテルロー従軍)
└── ウィレム 3 世(蘭王) ═ エンマ(後妻)
└── ヴィルヘルミナ(1890-1948、在位 58 年)
└── ユリアナ(1948-1980)
└── ベアトリクス(1980-2013)
└── ウィレム=アレクサンダー(2013- 、現国王)
└── カタリナ=アマリア(継承順位 1 位)
代表人物
1. ウィレム 1 世オラニエ公(沈黙公、1533-1584) — オランダ建国の父
11 歳で従兄レネ・ド・シャロンの遺領を相続しオラニエ公となる。神聖ローマ皇帝カール 5 世の宮廷で育ち、1559 年に総督職を得たが、スペイン王フェリペ 2 世の絶対主義に反対する八十年戦争(1568-1648)を主導し、1579 年ユトレヒト同盟・1581 年独立宣言の中心となる。1584 年デルフトで世界最初期のピストル暗殺の被害者として死去。
2. ウィレム 3 世(1650-1702) — 名誉革命の英国王
ウィレム 2 世の遺腹子(父の死後 8 日目に出生)。1672 年のフランス侵略戦争を打開して 22 歳でホラント総督となる。1677 年に従姉メアリー・スチュアートと結婚、1688 年の名誉革命で英国議会の招請を受けて英国上陸、1689 年に英国王ウィリアム 3 世として共同即位。江戸期日本の蘭学の元年を生んだ時期にあたる総督でもある。
3. ヴィルヘルミナ女王(1880-1962) — 在位 58 年、ロンドン亡命政府の指導者
10 歳で即位、母エンマが摂政。1898 年成人後、第一次世界大戦のオランダ中立を保持。第二次世界大戦中はナチス・ドイツのオランダ侵攻(1940 年 5 月)に対しロンドン亡命政府を率いて、ラジオ放送『オラニエ放送』でオランダ国民の抵抗を鼓舞した。在位 58 年はオランダ王室史最長。
4. ウィレム=アレクサンダー国王 — 現国王(2013-)
ベアトリクス前女王の長男、2013 年に母から譲位を受けて即位した第 7 代オランダ国王。長女カタリナ=アマリア(オラニエ女公)が王位継承順位 1 位として家系を継ぐ。本記事では存命人物の私生活・公的活動の詳細には立ち入らない。
日本との関わり
オラニエ家は江戸期日本との関係でも注目される。1602 年に成立したオランダ東インド会社(VOC)は同家の総督期に最盛を迎え、1641 年以降の長崎・出島貿易で日本がヨーロッパへ開いた唯一の窓口となった。江戸期の蘭学(西洋医学・天文学・砲術)はオラニエ家総督期のオランダ語文化を媒介としており、現代でも日蘭関係の歴史的基礎をなしている。
関連する家系図
- 英王室 — 1689 年の名誉革命でウィレム 3 世が英王ウィリアム 3 世を兼ね、メアリー 2 世と共同統治
- ハプスブルク家 — 16 世紀のネーデルラント独立戦争(八十年戦争)はスペイン・ハプスブルクとの戦争。オラニエ家はその独立闘争を主導
関連ランキング
- 世界王室ランキング — 現存欧州王室のなかでも独立闘争に起源を持つ稀少な王室
出典・参考文献
- ランク A: Het Koninklijk Huis(オランダ王室公式サイト) https://www.koninklijkhuis.nl/
- ランク A: Wikidata(House of Orange-Nassau entities)
- ランク C: Wikipedia「House of Orange-Nassau」「オラニエ=ナッサウ家」「William the Silent」
詳細は orange-nassau.json の sources フィールドを参照。
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最終更新: 2026-05-01 / 執筆: 家系図ずかん編集部 / 品質: Public-ready