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海外実業家19 世紀〜現代

ケネディ家

19 世紀半ばのジャガイモ飢饉を機にアイルランドからボストンへ移住したアイルランド系移民の系譜が、4 世代をかけて 20 世紀アメリカ政治の中枢へと到達した一族。家祖パトリック(1823 頃-1858)の孫ジョセフ・P・ケネディ Sr.(1888-1969)が金融・実業で身を起こして駐英大使を務め、9 人の子のうちジョン・F・ケネディ(第 35 代大統領)、ロバート・F・ケネディ(司法長官)、エドワード(テッド)・ケネディ(上院議員 47 年)が政治家として頭角を現した。20 世紀後半のカトリック系・東部リベラル政治を象徴する家系として、米国近現代史で最も広く知られた政治家族の一つ。家系は現代まで続いている。

  • 人物
    25
  • 家族構造
    8
  • verified
    81%
  • 信頼度
    ★★
家系図
Patrick KennedyBridget Murphy KennedyPatrick Joseph KennedyMary Augusta Hickey KennedyJoseph Patrick Kennedy Sr.Rose Fitzgerald KennedyJoseph P. Kennedy Jr.John F. KennedyJacqueline Kennedy OnassisCaroline KennedyJohn F. Kennedy Jr.Robert F. KennedyEthel Skakel KennedyRobert F. Kennedy Jr.Edward M. KennedyRosemary KennedyKathleen Kennedy CavendishEunice Kennedy ShriverPatricia Kennedy LawfordJean Kennedy SmithCarolyn Bessette-KennedyKathleen Kennedy TownsendJoseph P. Kennedy IIPatrick J. Kennedyロリー・ケネディケリー・ケネディマイケル・L・ケネディデビッド・A・ケネディクリストファー・G・ケネディメアリ・C・ケネディダグラス・H・ケネディM・マックスウェル・T・ケネディパトリック・ブーヴィエ・ケネディアラベラ・ケネディMary Loretta KennedyFrancis Benedict KennedyMargaret Louise Kennedyジョーン・ベネット・ケネディカラ・ケネディエドワード・ケネディ・ジュニアジョン・ケネディ3世Mary L. KennedyJoanna L. KennedyMargaret M. KennedySheila Brewster RauchAmy KennedyMary Josephine Hannonジョン・F・フィッツジェラルドジャネット・リー・ブーヴィエジョン・ヴェルヌー・ブーヴィエ3世アリストテレス・オナシスRichard MurphyMary (?)エドウィン・シュロスバーグステファン・エドワード・スミスウィリアム・ケネディ・スミスStephen Edward Smith III.Amanda SmithKym SmithGeorge SkakelAnn Brannackウィリアム・キャヴェンディッシュ (1917-1944)サージェント・シュライバーマリア・シュライバーロバートティモシー・ペリー・シュライバーAnthony ShriverMark Shriverヴィクトリア・レジー・ケネディElizabeth Kellyシェリル・ハインズメアリー・リチャードソン・ケネディEmily BlackMargaret M. FieldJames HickeyDavid Lee Townsendクリストファー・ケネディー・ローフォードVictoria LawfordSydney LawfordRobin Lawfordピーター・ローフォードPatrick KennedyMary Johanna (?)William J. BessetteAnne Messina

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ケネディ家 主要人物

25 人物のうち先頭 15 名 ・ 8 家族構造
  • 1Patrick Kennedy1823-1858アイルランド系移民
  • 2Bridget Murphy Kennedy1824-1888ケネディ家祖の妻
  • 3Patrick Joseph Kennedy1858-1929マサチューセッツ州議員
  • 4Mary Augusta Hickey Kennedy1857-1923ケネディ家二代目母
  • 5Joseph Patrick Kennedy Sr.1888-1969実業家
  • 6Rose Fitzgerald Kennedy1890-1995ケネディ家の母
  • 7Joseph P. Kennedy Jr.1915-1944長男
  • 8John F. Kennedy1917-1963アメリカ合衆国大統領(第 35 代)
  • 9Jacqueline Kennedy Onassis1929-1994ファーストレディ
  • 10Caroline Kennedy1957-?駐日米国大使
  • 11John F. Kennedy Jr.1960-1999JFK 長男
  • 12Robert F. Kennedy1925-1968司法長官(合衆国)
  • 13Ethel Skakel Kennedy1928-2024RFK 妻
  • 14Robert F. Kennedy Jr.1954-?合衆国保健福祉長官
  • 15Edward M. Kennedy1932-2009上院議員(マサチューセッツ州)

※ 主要人物のみグリッド表示しています。家系図形式のフル表示は 準備中。fork ボタンから自分用に書き換えて使えます。

もっと詳しく — ケネディ家 の歴史と人物像を読む

ケネディ家の家系図 — アイルランド移民から大統領家系までの 4 世代

家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 最終更新: 2026-05-01 | 品質: Public-ready(信頼度 ★★)

[海外実業家] [近現代] [アメリカ合衆国]

19 世紀半ばのジャガイモ飢饉を機にアイルランドからボストンへ移住したアイルランド系移民の系譜が、4 世代をかけて 20 世紀アメリカ政治の中枢へと到達した一族。家祖パトリック・ケネディ(1823 頃 - 1858)の孫ジョセフ・P・ケネディ Sr.が金融業から駐英大使にまで上り詰め、9 人の子のうちジョン・F・ケネディ(第 35 代大統領)、ロバート・F・ケネディ(司法長官)、エドワード(テッド)・ケネディ(上院議員 47 年)が政治家として活躍した。家系は現代まで続いている。


目次

  1. 概要
  2. 簡易系譜
  3. 代表人物
  4. ボストンへの移民 — 19 世紀の出発
  5. ジョセフ Sr. の登場 — 富と政治の基盤
  6. JFK と「ニューフロンティア」
  7. ロバートとテッド — 立法政治家の兄弟
  8. 3 代目・4 代目の継承
  9. 本記事で扱っていない論点
  10. 関連する家系図
  11. 出典・参考文献
  12. 改訂履歴

概要

項目内容
一族名ケネディ家(Kennedy family)
起源アイルランド・ウェックスフォード州ダンゴースタウン
移住期1840 年代後半(ジャガイモ飢饉)、家祖パトリックがボストンへ
本拠マサチューセッツ州ボストン → ハイアニス・ポート(夏季)、ワシントン D.C.
宗教カトリック(アイルランド系)
主要な公職第 35 代米国大統領、合衆国司法長官、上院議員(マサチューセッツ州・ニューヨーク州・ロードアイランド州)、駐英・駐アイルランド・駐日米国大使ほか
歴史的役割20 世紀後半のカトリック系・東部リベラル政治を象徴

ケネディ家のアメリカでの歴史は、家祖パトリック・ケネディ(1823 頃 - 1858)が 1848 年頃にアイルランド・ウェックスフォード州からボストンへ移住したところから始まる。1845 年に始まったジャガイモ飢饉で大量に発生したアイルランド系移民の一人で、ボストンで樽職人として働き、1849 年頃にブリジット・マーフィーと結婚した。35 歳でコレラにより早逝し、家計は困窮したが、末男 P.J. ケネディ(1858-1929)が酒類販売業を経てマサチューセッツ州議会議員となり、ボストンの民主党有力者として一族の政治的足場を築いた。

家系を全米規模に押し上げたのは、3 代目のジョセフ・P・ケネディ Sr.(1888-1969)である。ハーバード大学を卒業し、25 歳で銀行頭取となり、1920 年代の株式投資・映画産業進出で巨万の富を得た後、1934-35 年の米証券取引委員会(SEC)初代委員長、1938-1940 年の駐英大使として政界・官界で頭角を現した。妻ローズ・フィッツジェラルド(1890-1995)はボストン市長ハニー・フィッツの長女で、9 人の子を育てた。

4 代目以降は、ジョセフ Sr. の子たちが政治の中枢に進む。長男ジョー・ケネディ Jr.(1915-1944)は対独 V-1 迎撃作戦中に殉職し、父の期待は次男ジョン・F・ケネディ(1917-1963)に移った。JFK は 1960 年大統領選で共和党のリチャード・ニクソンを僅差で破り、史上最年少の選出大統領、初のカトリック教徒大統領として就任。1962 年のキューバ危機で核戦争を回避し、公民権運動への支持表明・月面着陸計画(アポロ)始動など「ニューフロンティア」政策を推進したが、1963 年 11 月 22 日にテキサス州ダラスで銃撃を受け死亡した(享年 46)。

ロバート・F・ケネディ(1925-1968)は司法長官・ニューヨーク州上院議員を経て 1968 年大統領選の民主党予備選に参戦したが、6 月 5 日のカリフォルニア予備選勝利直後にロサンゼルスで銃撃を受け、翌日死去。末弟エドワード・(テッド)・ケネディ(1932-2009)はマサチューセッツ州上院議員として 47 年(1962-2009)在職し、医療保険・公民権・移民・障害者法など広範な立法に関与し「上院の獅子(Lion of the Senate)」と呼ばれた。

家祖パトリックの子孫が 4 世代にわたって米国の公職に連続して就いている事例は、米国近現代史でも数少ない。一族の政治史は、アイルランド系カトリック移民の社会上昇、20 世紀後半の民主党リベラリズム、東部エスタブリッシュメントの軌跡そのものを映している。家系は現代まで続いており、3 代目以降にも公職に就いた人物が複数いるが、本記事では存命人物に関する詳細な記述は扱わない。


簡易系譜

サイト公開時はインタラクティブビューアに置換します。

パトリック ═ ブリジット・マーフィー(アイルランド移民、1840 年代後半渡米)
  │
  └── P.J. ケネディ ═ メアリー・オーガスタ・ヒッキー
        │
        └── ジョセフ・P・ケネディ Sr. ═ ローズ・フィッツジェラルド
              │
              ├── ジョー Jr.(長男・戦死)
              ├── JFK ═ ジャクリーン・ブーヴィエ
              │     ├── キャロライン(存命)
              │     └── JFK Jr. ═ キャロリン・ベセット
              │
              ├── ローズマリー(長女)
              ├── キャスリーン(英デヴォンシャー公爵家へ嫁ぐ)
              ├── ユーニス ═ サージェント・シュライバー
              │     └── マリア・シュライバー(本プリセット未収録)
              ├── パトリシア ═ ピーター・ローフォード
              ├── RFK ═ エセル・スカケル
              │     ├── キャスリーン・タウンゼント(存命)
              │     ├── ジョセフ 2 世(存命)
              │     │     └── ジョセフ 3 世(存命)
              │     └── RFK Jr.(存命)
              ├── ジーン(駐アイルランド大使)
              └── テッド ═ ジョーン・ベネット → ヴィッキー・レジー
                    └── パトリック・J(存命)

注: 上記は本記事で扱う 25 名を中心とした主な系譜。RFK・エセル夫妻には 11 人の子があるが、本プリセットでは公職活動が確認できる 3 名のみ収録した(他は本記事で扱っていない論点を参照)。


代表人物

本記事では一族の流れを担った 5 名を代表として紹介する。残りの人物については、ビューアの詳細パネルから個別に参照できる(公開後)。

1. ジョセフ・P・ケネディ Sr.(1888-1969) — 一族を政治家系へ押し上げた家長

ボストンの P.J. ケネディとメアリー・ヒッキーの長男。ハーバード大学卒業(1912)後、25 歳でコロンビア・トラスト銀行頭取となり、1920 年代に株式市場と映画産業(ハリウッド)で巨万の富を得た。1932 年のフランクリン・ローズヴェルトの大統領選を支援し、政権発足後の 1934-1935 年に新設された米証券取引委員会(SEC)の初代委員長に就任、ニューディール政策の証券市場規制を担った。

1938-1940 年には駐英大使として第二次世界大戦勃発期の米英外交に当たったが、対独宥和路線をめぐって、英国チャーチル政権・大統領官邸との対立が深まり辞任した。戦後は政治の表舞台から退き、子供たちを政治家に育てることに専念。妻ローズ(ボストン市長ハニー・フィッツの長女、敬虔なカトリック信徒)との間に 9 子を儲け、その教育・進路を強く方向付けた。多くの伝記作家は彼を「父権的・野心的・実務家」と評する。1969 年 11 月 18 日、ハイアニス・ポートで死去、享年 81。

2. ジョン・F・ケネディ(JFK、1917-1963) — 第 35 代大統領、ニューフロンティアの旗手

ジョセフ Sr. とローズの次男。マサチューセッツ州ブルックライン生まれ。ハーバード大学卒業(1940)時に提出した卒業論文が『Why England Slept』として出版され、ベストセラーとなった。第二次大戦中は米海軍の PT-109 艇長としてソロモン諸島で活動し、1943 年に乗艇を失った後の漂流・救助劇で勲功を挙げた。

戦後はマサチューセッツ州下院議員(1947-1953)・上院議員(1953-1960)を歴任し、1957 年に伝記『Profiles in Courage』でピューリッツァー賞(伝記部門)を受賞。1960 年大統領選では共和党のリチャード・ニクソンを得票率 0.17 ポイント差で破り、史上最年少の選出大統領(43 歳)初のカトリック教徒大統領として就任した。

在任中は、1961 年のピッグス湾事件(キューバ侵攻作戦の失敗)、1962 年 10 月のキューバ危機(海上封鎖と外交交渉で核戦争を回避)、1963 年 6 月のベルリン演説「Ich bin ein Berliner」など外交上の主要局面を担い、内政では公民権運動への支持表明(1963 年 6 月のテレビ演説)、**月面着陸計画(アポロ)**の始動、**平和部隊(Peace Corps)**の創設などを進めた。1963 年 11 月 22 日、テキサス州ダラスを大統領車で遊説中に銃撃を受け死亡、享年 46。ウォーレン委員会報告書(1964)はリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行と結論づけた。アーリントン国立墓地に埋葬された。

3. ロバート・F・ケネディ(RFK、1925-1968) — 司法長官と 1968 年の戦い

ジョセフ Sr. とローズの七子。ハーバード大学・ヴァージニア大学ロースクール卒。上院常任委員会の主任顧問を経て、1960 年大統領選では兄 JFK の選挙対策本部長を務めた。JFK の大統領就任に伴い司法長官(1961-1964)に就任、組織犯罪対策と公民権運動への対応で兄政権の中核を担った。1964 年公民権法の起草・成立過程に深く関与した。

兄の死後、1965 年からニューヨーク州選出上院議員として活動。1968 年大統領選挙の民主党予備選に参戦し、ベトナム反戦・公民権・貧困対策を訴えた。1968 年 6 月 4 日のカリフォルニア州予備選で勝利した直後の 6 月 5 日未明、ロサンゼルスのアンバサダー・ホテルで銃撃を受け、翌 6 日に死去。享年 42。妻エセル・スカケル(1928-2024)との間に 11 子を儲けた。

4. エドワード・M・(テッド)・ケネディ(1932-2009) — 上院 47 年の立法政治家

ジョセフ Sr. とローズの末子。1962 年、兄 JFK の大統領就任で空席となったマサチューセッツ州上院議席に当選し、以後 47 年間連続して在職(2009 年に死去するまで)、米国上院史でも有数の長期在職議員となった。**「上院の獅子(Lion of the Senate)」**と呼ばれ、1965 年移民国籍法(出身国別割当制の廃止)、1990 年アメリカ障害者法(ADA)、医療保険拡大、最低賃金引き上げ、公民権法強化など、20 世紀後半から 21 世紀初頭の主要な立法に関与した。

1980 年大統領選挙の民主党予備選では現職カーター大統領に挑戦したが敗退。2009 年 8 月 25 日に悪性脳腫瘍で死去、享年 77。死後、オバマ大統領の医療保険改革法案(2010 年成立)はテッドの長年の悲願を継ぐものとして「ケネディの法案」と呼ばれた。

5. ジャクリーン・ケネディ・オナシス(1929-1994) — JFK のファーストレディ

JFK の妻、第 35 代米国ファーストレディ(1961-1963)。フランス系・スコットランド系の上流家庭出身、ジョージ・ワシントン大学卒業後にワシントンの新聞記者となり、1953 年に JFK と結婚。ホワイトハウスの改修・修復プロジェクトを主導し、芸術・文化外交の象徴となった。1968 年にギリシャの海運王アリストテレス・オナシスと再婚(1975 年オナシスの死で死別)。晩年はニューヨークでダブルデイ社・ヴァイキング社の出版編集者として活動した。1994 年 5 月 19 日、64 歳で死去。

JFK とジャクリーンには、長女キャロライン・ケネディ(1957- 、駐日米国大使を務めた)と長男 JFK Jr.(1960-1999)が生まれた。1963 年 11 月 25 日の JFK 葬儀で 3 歳の JFK Jr. が見せた敬礼の写真は、20 世紀を象徴する一枚として広く知られる。


ボストンへの移民 — 19 世紀の出発

ケネディ家のアメリカ史は、家祖パトリック・ケネディがアイルランド・ウェックスフォード州ダンゴースタウンから 1848 年頃にボストンへ渡ったことから始まる。1845 年に発生し以後 5 年間続いたジャガイモ飢饉は、アイルランド全人口の約 4 分の 1(死亡 100 万人、移住 100 万人)を動かす大規模な人口移動を引き起こした。パトリックはボストンで樽職人として働き、1849 年頃に同郷出身のブリジット・マーフィーと結婚した。

しかしパトリックは 1858 年 11 月、35 歳の若さでコレラにより死去。ブリジットは寡婦として子供たちを育てるため、ボストン東部で雑貨店・宿屋を営みながら家族を支えた。19 世紀半ばのボストンでは、アイルランド系カトリック移民は WASP(白人アングロサクソン系プロテスタント)の社会的偏見にさらされ、社会階梯の最下層に置かれていた時代である。

末子の P.J. ケネディ(1858-1929)はボストンの公立学校を出た後、酒類販売業に身を投じ、20 代後半までに東ボストンで複数の酒場・酒販店を経営する地元有力者となった。1884 年、25 歳でマサチューセッツ州下院議員に当選、1892-1895 年に州上院議員。これは移民 2 代目が公職に就いた米国でも初期の事例の一つで、ボストンのアイルランド系民主党マシーン政治の典型的な軌跡だった。彼は妻メアリー・オーガスタ・ヒッキー(1857-1923)との間に 4 子を儲け、長男ジョセフ Sr. が 3 代目を担うことになる。


ジョセフ Sr. の登場 — 富と政治の基盤

ジョセフ・P・ケネディ Sr.(1888-1969)は、家系の流れを大きく変えた人物である。彼はアイルランド系という出自にもかかわらず、当時 WASP 中心だったハーバード大学に進学(1912 年卒業)、卒業後ほどなく 25 歳でコロンビア・トラスト銀行頭取となった。1920 年代には株式市場と映画産業(RKO Pictures の前身、Film Booking Offices of America)に進出して巨額の財を築いた。1929 年の大恐慌前に多くの株を処分しており、戦後の伝記研究では彼が「市場の異常な熱狂」を内側から把握していたことが指摘されている。

1932 年大統領選でフランクリン・ローズヴェルト(FDR)を支援し、政権発足後の 1934-1935 年、新設の米証券取引委員会(SEC)の初代委員長に就任。新規制を策定する側に「市場の内側を知る者」を据えるという FDR の判断によるもので、ケネディは内部関係者取引(insider trading)規制等の整備に関わった。1937 年には海運委員会(United States Maritime Commission)委員長を務めた後、1938 年 1 月に駐英大使としてロンドンに着任した。

駐英大使時代(1938-1940)は、第二次世界大戦の勃発期と重なる。彼は英米関係の最高責任者の一人だったが、米国の参戦回避と対独宥和を志向する立場をとり、1940 年のドイツ軍の英国本土空襲(バトル・オブ・ブリテン)で英国の敗北を予測する発言をめぐって、チャーチル首相・FDR 大統領官邸の双方から不興を買い、1940 年 11 月に辞任した。この経歴は彼自身の政治家としての将来を閉ざすことになり、戦後は子供たちを政治家として育てることに転換した。

夫妻の 9 子のうち、ジョー Jr.(1915-1944)は父の最大の期待を背負ったが、対独 V-1 ロケット基地への遠隔操縦爆撃機作戦(アフロディーテ作戦)中に英仏海峡上空で殉職、享年 29。ローズマリー(1918-2005)は学習面で困難があり、1941 年に当時の医療判断のもと家族の同意で前頭葉切截術(ロボトミー手術)を受けたが、術後深刻な障害が残り、ウィスコンシン州の修道院系施設で長年生活した。彼女の存在は、後の妹ユーニスによるスペシャルオリンピックス(1968 年創設)の直接の動機となった。

1948 年 5 月には四女キャスリーンが、英デヴォンシャー公爵家のハーティントン侯爵と結婚(夫は同年 9 月にベルギーで戦死)後、再婚予定の旅行先フランスで航空事故により死去、享年 28。

ジョセフ Sr. の戦後の関心は、生き残った息子たちの政治家としてのキャリアに集中した。1946 年、JFK が 29 歳でマサチューセッツ州第 11 区下院議員に当選し、家系の政治家としての軸足は次世代へと移っていく。


JFK と「ニューフロンティア」

ジョン・F・ケネディは 1917 年 5 月 29 日、マサチューセッツ州ブルックラインに生まれた。少年期は健康面の課題があり、複数の学校を経てチョート・ロズマリー・ホール、プリンストン大学(中退)、ハーバード大学を経て 1940 年に卒業。卒業論文を改訂した『Why England Slept』(1940)はベストセラーとなり、政治家としての文筆力の片鱗を示した。

第二次大戦中は米海軍の魚雷艇隊に配属され、PT-109艇長として南太平洋で活動。1943 年 8 月、PT-109 が日本海軍駆逐艦「天霧」に衝突され沈没、艇長として乗組員を率いて泳ぎ、3 日間の漂流の末に救助された。この戦時の勲功が戦後の選挙活動の基礎となった。

戦後は下院議員(1947-1953)・上院議員(1953-1960)を経て、1960 年大統領選挙で共和党のリチャード・ニクソンを破り第 35 代大統領(1961 年 1 月 20 日就任)に。史上最年少(43 歳 7 か月)の選出大統領初のカトリック教徒大統領であり、米国における宗教的偏見の壁を破ったことで歴史的意義を持つ。

就任演説の「Ask not what your country can do for you — ask what you can do for your country(国家があなたに何をしてくれるかを問わず、あなたが国家のために何ができるかを問え)」は 20 世紀演説の代表として広く引用される。在任中の主な出来事:

  • 1961 年 4 月 ピッグス湾事件(キューバ亡命者軍によるキューバ侵攻作戦、失敗)
  • 1961 年 8 月 ベルリンの壁構築 → ベルリン危機
  • 1961 年 9 月 平和部隊(Peace Corps)創設
  • 1962 年 2 月 ジョン・グレンによる有人地球周回軌道飛行(マーキュリー計画)
  • 1962 年 10 月 キューバ危機(ソ連のキューバへの中距離ミサイル配備に対し海上封鎖、外交交渉で 13 日間の緊張を解消)
  • 1963 年 6 月 公民権法案を議会に提出するテレビ演説
  • 1963 年 6 月 ベルリン演説「Ich bin ein Berliner」
  • 1963 年 8 月 ワシントン大行進(マーティン・ルーサー・キングの「I Have a Dream」演説)、JFK は公民権運動を支援する立場を表明
  • 1963 年 11 月 22 日 テキサス州ダラスを遊説中、大統領専用車で銃撃を受け死亡

1964 年、リンドン・B・ジョンソン政権下で設置されたウォーレン委員会は、ダラスでの銃撃の犯人をリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯と結論づけた。ウォーレン委員会報告書は連邦公文書館で公開されている公文書である。

JFK の死後、未亡人ジャクリーン・ケネディ(1929-1994)はホワイトハウスを去り、後年は出版編集者として活動した(代表人物節を参照)。


ロバートとテッド — 立法政治家の兄弟

ロバート・F・ケネディ(RFK)は 1925 年生まれ、ジョセフ Sr. の 7 子目。1968 年 6 月の死去まで、兄 JFK の盟友・参謀・継承者として一族の政治史を担った。

司法長官時代(1961-1964)には、1964 年公民権法の起草過程に深く関与し、組織犯罪対策(全米トラック運輸組合トップのジミー・ホッファ追及など)、ミシシッピ州大学への黒人学生入学保護(オックスフォード暴動、1962 年)などで積極的に動いた。兄の死後、1965 年からニューヨーク州上院議員として活動。ベトナム反戦貧困撲滅先住民権利移民権利を旗印に、東部リベラル政治の中核となった。

1968 年大統領選では、現職リンドン・B・ジョンソン大統領のベトナム戦争政策に反対する立場で 3 月 16 日に出馬を表明し、4 月のマーティン・ルーサー・キング暗殺後の各都市での演説では暴動の鎮静化に貢献。6 月 4 日のカリフォルニア州予備選で勝利し民主党候補指名への流れを作った直後、6 月 5 日午前 0 時過ぎ、ロサンゼルスのアンバサダー・ホテルで銃撃を受け、翌 6 日に死去。享年 42。妻エセル・スカケルとの間に 11 子を遺した。死後の慈善団体ロバート・F・ケネディ・センター(現 Robert F. Kennedy Human Rights)はエセルが長く運営した。

末弟エドワード・M・(テッド)・ケネディ(1932-2009)は、兄 JFK・RFK と異なり大統領職を経験しなかったが、米国議会史において最も影響力の大きい上院議員の一人である。1962 年、兄 JFK が大統領就任で空けたマサチューセッツ州上院議席に当選し、以後 47 年間連続在職(2009 年に死去するまで)。**「上院の獅子(Lion of the Senate)」**と呼ばれ、立法を主導する政治家として高い評価を得た。

主な立法業績:

  • 1965 年移民国籍法(国籍別割当の廃止、現代米国の人口構成を変えた根本的法律)
  • 1972 年タイトル IX(教育機関での性差別禁止)
  • 1990 年アメリカ障害者法(ADA)(障害者の社会参加権の包括的保護)
  • 包括的医療保険改革の長年の主導(2010 年に法案成立、テッドは前年に死去していたが、オバマ大統領は法案を「ケネディの法案」と呼んだ)
  • 最低賃金法改正、移民改革法案(累次)、初等中等教育法改正(2002 年「No Child Left Behind」)など

1980 年大統領選挙の民主党予備選では現職ジミー・カーター大統領に挑戦したが敗退。妻ヴィッキー・レジー(1992 年再婚)とともに晩年まで上院議員を務め、2009 年 8 月 25 日に悪性脳腫瘍で死去、享年 77。


3 代目・4 代目以降 — 家系の継続

JFK の長男 JFK Jr.(1960-1999)はニューヨーク大学ロースクール卒、検事補を経て政治雑誌『ジョージ』を 1995 年に創刊した。1996 年にキャロリン・ベセット(1966-1999)と結婚。1999 年 7 月 16 日、自ら操縦する自家用機がマサチューセッツ州マーサズ・ヴィンヤード沖で墜落し、妻と義姉とともに死去、享年 38。

ジョセフ Sr. の三女ユーニス・ケネディ・シュライバー(1921-2009)は、姉ローズマリーの存在を契機に 1968 年にスペシャルオリンピックスを創設、知的障害者のスポーツ・社会参加運動を世界規模に展開した。夫サージェント・シュライバーは平和部隊初代長官・1972 年民主党副大統領候補。ジョセフ Sr. の末娘ジーン・ケネディ・スミス(1928-2020)は、1993-1998 年に駐アイルランド米国大使を務め、北アイルランド和平プロセス(1998 年ベルファスト合意)への米国側の関与で知られた。

家祖パトリックがアイルランドから渡米してからおよそ 175 年、家系は現代まで続いている。3 代目以降にも公職に就いた人物が複数いるが(JFK の長女キャロライン・ケネディは駐日米国大使を、RFK の三男ロバート・F・ケネディ Jr. は合衆国保健福祉長官を、RFK の長男ジョセフ・P・ケネディ 2 世はマサチューセッツ州選出の合衆国下院議員を、テッドの末子パトリック・J・ケネディはロードアイランド州選出の合衆国下院議員をそれぞれ務めた)、本記事では存命人物の活動については系譜関係と公職名の事実のみを扱い、私生活・健康・政治信条には言及しない。


本記事で扱っていない論点

ケネディ家は人物・出来事の数が膨大で、本プリセットの 25 名では網羅しきれない部分が多い。以下の論点は今後の改訂・関連 Pillar/Ranking で補強する。

  • RFK・エセル夫妻の 11 子: 本プリセットでは公職活動の確認できる 3 名(キャスリーン、ジョセフ 2 世、RFK Jr.)のみ収録。残りの 8 名(マイケル、デイビッド、コートニー、メアリー、クリストファー、マックスウェル、ダグラス、ロリー)は今後の改訂候補。

  • テッド・ケネディの 3 子: 長子カラ・ケネディ(1960-2011)、次子エドワード・M・ケネディ Jr.(1961- 、コネチカット州上院議員)、末子パトリック(本プリセット収録)のうち、パトリックのみ収録。

  • JFK 暗殺をめぐる陰謀論: ウォーレン委員会報告書の単独犯認定の後、長く陰謀論的解釈が流通したが、これは公式調査結論とは別の領域に属する。本プリセットは公式記録の事実関係のみを扱う。

  • 存命人物の詳細な活動: キャロライン・ケネディ、ロバート・F・ケネディ Jr.、キャスリーン・ケネディ・タウンゼント、ジョセフ・P・ケネディ 2 世、ジョセフ・P・ケネディ 3 世、パトリック・J・ケネディの 6 名については、存命人物への配慮として系譜関係と公職名の事実のみを記載しており、私生活・健康・政治信条・在任中の具体的活動は本プリセットの守備範囲外とした。

  • シュライバー家・ローフォード家・キャヴェンディッシュ家(英デヴォンシャー公爵家)との姻戚関係: ケネディ家は他家との結婚を通じて広範な人的ネットワークを形成した。婿入り・嫁入りした人物の系譜は、関連プリセット作成時に展開する。

  • アイルランドのウェックスフォード州ダンゴースタウンの家祖パトリックの先祖: 移民前のアイルランド側の系譜は、現地教区記録(Catholic parish records)の二次的研究で部分的に復元されているが、確実な記録は乏しい。

学術的な追跡には、本記事末尾の Robert Dallek『An Unfinished Life』(2003)、David Nasaw『The Patriarch』(2012)、Larry Tye『Bobby Kennedy』(2016) など、英語圏の主要評伝の参照を推奨する。


関連する家系図

  • 英王室の家系図 — ジョセフ・P・ケネディ Sr. が駐英大使(1938-1940)を務め、英国チャーチル政権・王室との関係に関わった。第二次大戦初期の対英外交を象徴する関係。

家系図ずかんでは、海外政治家系・海外実業家のプリセットを順次拡充している。今後、ジョージ・ブッシュ家(米共和党側)、ロスチャイルド家(欧州実業家)などの追加に伴い、関連リンクを増やす予定である。


関連するガイド・コンテンツ


出典・参考文献

ランク A(一次資料・公式)

  • John F. Kennedy Presidential Library and Museum(JFK 大統領図書館・博物館、米国国立公文書館管理). https://www.jfklibrary.org/
  • Wikidata — Kennedy family entities. CC0. JFK(Q9696)、RFK(Q17279)、テッド(Q37459)、ジョセフ Sr.(Q215519)、ローズ(Q265032)、ジョー Jr.(Q706113)、ジャクリーン(Q165421)、JFK Jr.(Q313258)、P.J.(Q7141583)、家祖パトリック(Q16733780) 他
  • Report of the President's Commission on the Assassination of President Kennedy(ウォーレン委員会報告書), U.S. Government Printing Office, 1964. 連邦公文書館オンライン

ランク B(学術書)

  • Robert Dallek. An Unfinished Life: John F. Kennedy, 1917-1963. Little, Brown and Company, 2003. ISBN 978-0316172387
  • David Nasaw. The Patriarch: The Remarkable Life and Turbulent Times of Joseph P. Kennedy. Penguin Press, 2012. ISBN 978-1594203763
  • Larry Tye. Bobby Kennedy: The Making of a Liberal Icon. Random House, 2016. ISBN 978-0812993349

ランク C(参考資料)

  • Wikipedia(English) "John F. Kennedy", "Robert F. Kennedy", "Ted Kennedy", "Joseph P. Kennedy Sr.", "Rose Kennedy", "Joseph P. Kennedy Jr.", "Jacqueline Kennedy Onassis", "John F. Kennedy Jr.", "P. J. Kennedy", "Patrick Kennedy (businessman)" 各記事(2026-05-01 アクセス)
  • Robert F. Kennedy Human Rights https://rfkhumanrights.org/ — RFK 死後にエセル・ケネディが設立した非営利団体。RFK の事績・人権活動の参照先

詳しい出典参照とフィールド単位の信頼度は kennedy.json 内の sources[] および fieldConfidence を参照されたい。


信頼性に関する開示

本プリセットは Public-ready 品質(信頼度 ★★)として公開する。

  • 検証済み(verified)出典率: 16 件中 13 件 = 81%
  • Wikidata Q 番号確認済み: 主要人物 10 名以上(JFK、RFK、テッドなど含む)
  • 存命人物: 6 名(キャロライン、RFK Jr.、キャスリーン・タウンゼント、ジョセフ 2 世、パトリック、ジョセフ 3 世)について livingPersonPolicy: minimal を付し、系譜関係と公職名の事実のみを記載。私生活・健康・政治信条・著作・在任中の具体的活動には言及していない。
  • 暗殺・事故等のセンセーショナルな描写: 事実関係(場所・日付・公式調査結論)に限定して扱った。
  • 未着手: Robert Dallek、David Nasaw、Larry Tye の学術書籍の原典該当ページ参照は未了。今後の改訂で深化していく。

改訂履歴

  • 2026-05-01: 初版(Public-ready)。Wave A1-02 として深掘り研究ノートをもとに新規作成。
  • 2026-05-01: マイルド化(M-R4-05)。存命 6 名の livingPersonPolicypublic-onlyminimal に降格、biography を系譜関係と公職名の事実 1-2 文に圧縮、article.md の現代世代記述を最小化。JFK / RFK / EMK の故人記述と暗殺・事故の事実記述は中立に保持。

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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

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プリセット ID: kennedy / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00