平岡家の家系図 — 三島由紀夫と戦後文学の象徴
家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Draft(信頼度 ★★)
[文化人・芸術家] [明治〜昭和] [日本(東京)]
三島由紀夫(本名 平岡公威、1925-1970)は、樺太庁長官・福島県知事を歴任した祖父平岡定太郎、農林省官僚の父梓、士族出身の母倭文重の長男として東京四谷に生まれた。学習院から東京帝大法学部を経て大蔵省に短期勤務、1949 年『仮面の告白』で文壇に登場、『金閣寺』『潮騒』『豊饒の海』四部作など戦後日本文学の代表作を残した。1968 年に楯の会を結成、1970 年 11 月 25 日に市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部にて隊員 4 名と決起、自決した(享年 45)。妻瑤子との間に長女紀子、長男威一郎を儲ける。
概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一族名 | 平岡家(本名)・三島(ペンネーム) |
| 時代 | 明治後期 〜 昭和 |
| 拠点 | 東京(四谷・大田区南馬込) |
| 家紋 | 丸に剣片喰(伝承、要追加検証) |
| 家系の役割 | 内務省官僚 → 農林省官僚 → 戦後文学の象徴 |
代表人物
1. 三島由紀夫(1925-1970)
本名平岡公威。1925 年 1 月 14 日、東京市四谷区永住町に農林省官僚平岡梓と母倭文重の長男として誕生。生後すぐに祖母なつ(永井家、旧加賀藩士)に自室に引き取られ、12 歳まで養育されるという特異な幼少期を送った。この体験は『仮面の告白』(1949)で自伝的に描かれる。
学習院初等科から東京帝大法学部、1947 年卒業後、大蔵省に入省するも 1948 年 9 月退官。1949 年『仮面の告白』で文壇登場、1956 年『金閣寺』で読売文学賞、戦後日本文学の代表作家としての地位を確立。代表作: 1949『仮面の告白』、1954『潮騒』、1956『金閣寺』、1965-1971『豊饒の海』四部作。戯曲『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』。1958 年に画家杉山寧の長女瑤子と結婚、長女紀子(1959)・長男威一郎(1962)を儲ける。
1968 年楯の会結成。同年ノーベル文学賞候補となるが、受賞は親交深い川端康成に譲られた(三島が川端推薦の主導者)。詳細は 川端家の家系図 を参照。
1970 年 11 月 25 日、楯の会会員 4 名(森田必勝・小川正洋・小賀正義・古賀浩靖)を率いて市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を訪問、総監を拘束し演説後、総監室で割腹自決。享年 45。事件は戦後日本社会に衝撃を与え、現在も研究の対象となっている。
2. 平岡定太郎(1863-1942)— 三島の祖父
兵庫県加古郡志方村出身、苦学して帝国大学法科大学卒、内務省官僚に。福島県知事(1899-1903)、樺太庁長官(1908-1914)を歴任した中央政府官僚。妻なつは永井家(旧加賀藩士)出身、孫の公威を 12 歳まで自室で養育、三島の幼少期人格形成に決定的影響を与えた。
3. 平岡梓(1894-1976)— 三島の父
東京帝大法学部卒、農林省官僚として水産局長などを歴任。著書『伜・三島由紀夫』(1972、文藝春秋)は自決後の遺族視点からの貴重な一次資料。1976 年没、享年 82。
4. 平岡瑤子(1937-1995)— 三島の妻
日本画家杉山寧の長女。聖心女子大学英文科卒。1958 年 6 月、三島と結婚、長女紀子・長男威一郎を儲けた。三島自決後は遺族として遺品・著作権の管理にあたった。1995 年没、享年 58。
5. 平岡千之(1930-1996)— 三島の弟
東京大学法学部卒、外務省に入省、駐ポルトガル特命全権大使などを歴任した外交官。兄三島と終生親交を保った。
歴史的背景
創始期 — 内務官僚から農林官僚へ
平岡家は兵庫県加古郡志方村出自。祖父定太郎(1863-1942)は苦学して帝国大学法科大学卒、内務省官僚として福島県知事・樺太庁長官を歴任。長男梓(1894-1976)は東京帝大法学部から農林省へ進み、官僚家系を継いだ。
公威の特異な養育 — 祖母なつの 12 年間
祖母なつは生まれてすぐの公威を自室へ引き取り、12 歳まで自室で養育した。母倭文重は子に触れることを制限された。この体験は『仮面の告白』に色濃く反映されている。
文壇の頂点 — 1949-1968
1949 年『仮面の告白』で文壇中心へ。1954 年『潮騒』、1956 年『金閣寺』で評価確立。1958 年瑤子と結婚、媒酌人は川端康成夫妻。1965 年から執筆の『豊饒の海』四部作は最後の長編となった。ノーベル文学賞候補に 1963・1964・1968 年の 3 度挙げられたが、受賞は川端に譲られた。
楯の会と市ヶ谷事件 — 1968-1970
1968 年、民間防衛組織として楯の会を結成。1970 年 11 月 25 日、楯の会会員 4 名と市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を訪問、総監を拘束し演説後、三島と森田は総監室で割腹自決。家系図ずかんでは本事件は史実として中立的に記述するに留め、思想・政治信条には立ち入らない。『豊饒の海』最終巻『天人五衰』の最終稿は自決の朝に編集者宛に手渡されていた。
戦後の平岡家
未亡人瑤子は遺品・著作権の管理にあたり、子を育てた。1995 年に瑤子が没した後は、子の世代が三島の遺産管理を継承している(存命人物のため詳細は記述しない)。新潮社『決定版三島由紀夫全集』全 42 巻(2000-2006)が定本として確立されている。
関連する家系図
- 川端家(川端康成) — 三島の文学的先輩、1968 年ノーベル文学賞、三島自決後の 1972 年に自身も自殺
- 芥川家(芥川龍之介) — 大正文学の代表作家、三島の作風の源流の一つ
- 夏目家(夏目漱石) — 近代日本文学の祖、三島は漱石以来の系譜上に位置づけられる
関連 Guide
出典・参考文献
ランク A
- Wikidata Q190588 三島由紀夫
- 新潮社『決定版三島由紀夫全集』全 42 巻(2000-2006)
ランク B
- 猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文藝春秋、1995)
- 平岡梓『伜・三島由紀夫』(文藝春秋、1972)
ランク C
- Wikipedia 日本語版「三島由紀夫」
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最終更新: 2026-05-01 / 執筆: 家系図ずかん編集部 / 品質: Draft