メインコンテンツへスキップ
家系図ずかん
家系図を作る
近現代政治家幕末〜現代

大隈家(大隈重信系・早稲田大学創立者の系譜)

大隈重信(1838-1922)は肥前佐賀藩の大隈信保の長男に生まれ、明治新政府の参議・大蔵卿として近代財政制度の整備に関与した。1881 年明治十四年の政変で下野、翌 1882 年に立憲改進党を結成、同年東京専門学校(後の早稲田大学)を創立した。1889 年外相時に襲撃を受け右脚を失ったが、第 8 代・第 17 代内閣総理大臣を歴任した。1922 年没、日比谷公園で国民葬として執行。実子なく、佐賀藩家老大隈信常を婿養子として侯爵を継承、家系は現在も続いている。

  • 人物
    8
  • 家族構造
    3
  • verified
    83%
  • 信頼度
    ★★
家系図
大隈 信保三井子大隈 重信大隈 美登子大隈 熊子大隈 信常大隈 信幸大隈綾子松浦詮大隈信幸

大隈家(大隈重信系・早稲田大学創立者の系譜)を fork して、自分の家系図のテンプレに。

ツールで開く →

大隈家(大隈重信系・早稲田大学創立者の系譜) 主要人物

8 人物のうち先頭 11 名 ・ 3 家族構造
  • 1大隈信保?-1856重信父
  • 2三井子重信母
  • 3大隈重信1838-1922伯爵
  • 4大隈美登子1850-1923重信後妻
  • 5大隈熊子1869-1947重信娘
  • 6大隈信常1871-1947重信婿養子
  • 7大隈信幸1898-1973重信孫
  • 8大隈重信(現代)重信末裔
  • 9大隈綾子1850-1923SPARQL自動拡張
  • 10松浦詮1840-1908SPARQL自動拡張
  • 11大隈信幸1910-2004SPARQL自動拡張

※ 主要人物のみグリッド表示しています。家系図形式のフル表示は 準備中。fork ボタンから自分用に書き換えて使えます。

もっと詳しく — 大隈家(大隈重信系・早稲田大学創立者の系譜) の歴史と人物像を読む

大隈家の家系図 — 早稲田大学創立者・国民葬の宰相、大隈重信の系譜

家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Public-ready(信頼度 ★★)

[近現代政治家] [幕末〜現代] [肥前佐賀・東京]

大隈重信(1838-1922)は肥前佐賀藩の大隈信保の長男に生まれ、明治新政府の参議・大蔵卿として近代財政制度の整備に関与した。1881 年明治十四年の政変で下野、翌 1882 年に立憲改進党を結成、同年東京専門学校(後の早稲田大学)を創立した。1889 年外相時に襲撃を受け右脚を失ったが、第 8 代(1898 年隈板内閣)・第 17 代(1914-16)の内閣総理大臣を歴任した。1922 年没、日比谷公園で国民葬として執行された。


概要

項目内容
一族名大隈家(大隈重信系)
出身肥前佐賀藩
拠点佐賀 → 東京早稲田
家紋五七桐
明治・大正叙爵伯爵(1887)→ 侯爵(1916)
代表事跡早稲田大学創立・隈板内閣・国民葬

代表人物

1. 大隈重信(1838-1922)— 早稲田大学創立者、二度の総理

肥前佐賀藩の大隈信保の長男として佐賀城下に生まれ、藩校弘道館で蘭学・英学を修めた。明治維新後は新政府で参議・大蔵卿として新貨条例(1871)・地租改正鉄道創設(1872 新橋-横浜間開業)など近代財政・産業制度の整備に関わった。

1881 年明治十四年の政変で下野。翌 1882 年に立憲改進党を結成、同年東京専門学校(後の早稲田大学)を創立した。1889 年外相時に襲撃を受け、右脚切断・義足となった。

**1898 年に板垣退助の自由党と憲政党を結成、隈板内閣(第 8 代)を組織。1914 年に第 2 次大隈内閣(第 17 代)**を組織し、第一次世界大戦期の政権を担った。

1916 年侯爵。1922 年 1 月 10 日早稲田大隈邸で 83 歳で没、1 月 17 日に日比谷公園で国民葬として執行された。

2. 大隈美登子(c.1850-1923)— 後妻、大隈邸夜会の女主人

大隈重信の後妻、三枝七郎右衛門の娘。明治・大正期を通じて夫の社交・教育活動を支え、早稲田の大隈邸夜会の女主人として政界・学界に名を知られた。重信没後の翌 1923 年に没。

3. 大隈信常(1871-1947)— 婿養子、侯爵 2 代

肥前佐賀藩家老多久家出身、大隈重信の婿養子(娘・熊子の夫)。1922 年に侯爵を継承、貴族院議員を長く務めた。早稲田大学創立期から運営に関与、大隈奨学会などの教育事業を支えた。1947 年華族制度廃止の年に没。


歴史的背景

明治十四年の政変

1881 年、国会開設をめぐる議論を契機として大隈は政府を下野した(明治十四年の政変)。翌 1882 年、立憲改進党を結成した。

早稲田大学と隈板内閣

1882 年に東京専門学校として開校、1902 年に早稲田大学と改称、1920 年の大学令で正式に大学に昇格した。1898 年には板垣退助の自由党と大隈の進歩党が合同して憲政党を結成、第 1 次大隈内閣(隈板内閣)を組織した。後に大隈は立憲同志会(後の憲政会)を結成、第 2 次内閣(1914-16)で第一次大戦期の政権を担った。

国民葬と現代への継承

1922 年の重信の国民葬は、明治・大正期の宰相に対する大規模な儀礼として執り行われた。実子なきため婿養子・大隈信常が侯爵を継承、家系は現在も続いている。


家紋「五七桐」

五七桐は天皇から武家に下賜される最高格の桐紋(豊臣秀吉の馬印で知られる)で、近世以降は政府・公人の象徴。大隈重信の華族叙爵時に用いられたとされる。


関連する家系図

  • 伊藤博文家 — 明治初期は伊藤博文らと共に新政府の参議として近代制度の整備に関与。1881 年明治十四年の政変で立場を異にした
  • 板垣退助家 — 1898 年に板垣退助の自由党と憲政党を結成、第 1 次大隈内閣(隈板内閣)を組織
  • 大久保家 — 明治初期は大久保利通・伊藤らと共に新政府の参議として近代財政・産業制度の整備に関わった

出典

ランク A

ランク B

  • 真辺将之『大隈重信 — 民意と統治の相剋』中公叢書、2017

ランク C(Wikipedia、2026-05-01 確認)


本家系の全体像を掴む

上位 Pillar

関連ランキング


あなたの家系図を作る

家系図ずかんで自分の家系図を作る →(登録不要・無料、端末内保存)


最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

家系図ずかんとは

  • 端末完結 — データを送らない
  • 出典付き — 偉人図鑑は全件参照あり
  • 完全無料 — 登録もログインも不要
  • 64 アバター — 好きな顔を選べる
今すぐ作ってみる →
敬老の日敬老の日七五三七五三結婚式結婚式自分史自分史
プリセット ID: okuma / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00