出光家の家系図 — 宗像の藍問屋から「海賊とよばれた男」のモデルへ
家系図ずかん編集部 | 公開 2026-05-01 | Public-ready(★★)
出光佐三(1885-1981)は福岡県宗像郡赤間村(現 宗像市)の藍問屋の次男として生まれ、神戸高商を卒業後 1911 年に北九州門司で出光商会を創業、機械油・船舶燃料の販売から始めて中国・朝鮮・南方地域に石油販売網を拡大した。1947 年に店員数千人を一人も解雇しない「大家族主義」を表明、1953 年の日章丸事件(イラン国有化原油の輸入を英国の経済封鎖下で実施)でも知られる。百田尚樹『海賊とよばれた男』(2012、創作要素を含む小説)の主人公・国岡鐵造のモデルとされる。出光家の系譜は弟計助、3 代目昭介(1927-2016)と続き、創業企業は現在も継続している。
概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一族名 | 出光家(出光興産創業家) |
| 時代 | 明治 〜 現代 |
| 出身 | 福岡県宗像郡赤間村(現 宗像市) |
| 企業 | 出光商会(1911 創業)→ 出光興産(1940 株式会社化) |
| 経営理念 | 「大家族主義」(1947 表明) |
代表人物
1. 出光佐三(1885-1981)— 出光興産の創業者
福岡県宗像郡の藍問屋の次男として明治 18 年(1885)に生誕。福岡県立修猷館中学を経て神戸高等商業学校(現 神戸大学経済学部)に進学、1909 年に卒業。卒業後すぐに北九州門司で機械油・潤滑油の販売を開始、1911 年(明治 44 年)に出光商会を創業(佐三 26 歳)。
第一次世界大戦の好景気を背景に中国大陸・台湾・朝鮮半島・満州・樺太、戦後は南方地域へと販売網を拡大した。1940 年に株式会社化(出光興産前身)。
戦時下に南方資源開発に関与、戦後 1945 年の敗戦時には全海外資産を喪失。GHQ による財閥解体・石油業界規制下にあって、1947 年に店員数千人を一人も解雇しない「大家族主義」を表明した。
1953 年(昭和 28 年)の日章丸事件は、当時のイラン国有化原油をめぐる英国の経済封鎖下で、出光のタンカー**日章丸(二世)**がアバダン港からイラン原油を直接買い付け・輸入したもの。英国の国際法廷提訴に対しては勝訴している。
1956 年に出光美術館(東京・帝劇隣接)を設立、佐三が生涯収集した東洋陶磁器・書画コレクション(特に仙厓義梵の禅画コレクション)を公開した。勲一等瑞宝章(1965)。1981 年 3 月 7 日、東京で没、享年 95。百田尚樹『海賊とよばれた男』(2012、創作要素を含む小説)の主人公国岡鐵造のモデルとされる。
2. 出光計助(1900頃-1991)— 兄を支えた弟
佐三の弟。兄佐三を支え、戦中・戦後にわたって出光興産副社長として経営に参画。1991 年没。
3. 出光昭介(1927-2016)— 3 代目
佐三の甥(弟計助の長男)、出光興産 3 代目社長(1981-1995)。佐三の没後に経営を引き継いだ。2016 年没、享年 89。
歴史的背景
創始期 — 宗像の藍問屋から門司の石油商へ
出光家は江戸期から続く宗像の藍問屋で、地方商人としての商いの伝統を持っていた。1911 年の門司創業時の従業員はわずか数名、機械油・船舶燃料の地方代理店として出発した小さな商会が、戦前期にアジア全域に販売網を持つ商社へと成長した。
発展期 — 戦前アジア石油販売と戦後の再出発
戦前期、出光商会は満州・朝鮮・台湾・南方の各地域に石油・潤滑油を供給する独立系商社として成長。1945 年の敗戦で全海外資産を喪失、戦後はゼロから再出発した。1947 年の「大家族主義」表明(解雇ゼロ)は、佐三の経営理念を示す象徴的決断とされる。詳しくは渋沢家の家系図も参照。
転換期 — 日章丸事件と現代
1953 年の日章丸事件は、戦後出光興産を国内外で広く知らせた出来事として記録されている。出光家の系譜は計助・昭介を経て現代世代へと続いており、創業企業は現在も継続している。
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出典・参考文献
ランク A
- Wikidata - 出光佐三 Q472083
- 出光興産公式サイト 創業者紹介
- 出光美術館公式サイト
ランク C
- 百田尚樹『海賊とよばれた男』講談社、2012(創作要素を含む小説のため事実確認には注意)
- 『出光佐三』Wikipedia 日本語版
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最終更新: 2026-05-01 | 執筆: 家系図ずかん編集部