池田家の家系図 — 信長乳兄弟・恒興から姫路城築城・岡山鳥取の幕末まで
家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Draft(信頼度 ★★)
[戦国大名] [戦国時代〜明治] [日本・尾張・美濃・播磨・備前・因幡]
美濃源氏池田氏を称する一族で、戦国期に池田恒興が織田信長の乳兄弟として最側近の地位を占めた。子の池田輝政は徳川家康次女・督姫を継室とし家康娘婿となり、関ヶ原後播磨姫路 52 万石を領有、現存最大の城郭姫路城(世界遺産・国宝)を築城した。輝政の子らが岡山藩 31 万 5000 石・鳥取藩 32 万 5000 石として分かれて幕末まで続き、岡山 2 代池田光政は閑谷学校を創設した名君として知られる。明治後は両系統とも侯爵に列した。
概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一族名 | 池田家(岡山池田家・鳥取池田家) |
| 起源 | 美濃源氏池田氏(伝)、尾張で織田家に仕官 |
| 拠点 | 姫路城 → 岡山城・鳥取城 |
| 家紋 | 備前蝶(揚羽蝶の変形) |
| 石高 | 姫路 52 万石 → 岡山 31 万 5000 石・鳥取 32 万 5000 石 |
| 明治叙爵 | 侯爵(岡山・鳥取とも) |
代表人物
1. 池田恒興(1536-1584)— 信長の乳兄弟、織田家四宿老
母養徳院が織田信長の乳母だった縁で、信長と幼少から起居を共にした乳兄弟。信長最側近の武将として桶狭間以降の主要戦役に従軍、本能寺の変後の清洲会議(1582)では秀吉・柴田勝家・丹羽長秀とともに織田家四宿老の一人として織田家の去就を決定した。
1584 年小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉方として徳川家康軍と戦い、長男元助とともに長久手で戦死。享年 49。死後、池田家は次男輝政が継承した。
2. 池田輝政(1565-1613)— 西国将軍、姫路城築城
恒興の次男、長久手で兄元助と父の戦死により家督相続。秀吉に仕えて美濃岐阜 13 万石、三河吉田 15 万石と勢力を拡大。1594 年徳川家康次女・督姫(北条氏直未亡人)を継室に迎えて家康娘婿となり、徳川陣営入りを明確にした。
関ヶ原の戦い(1600)では東軍として戦い、戦後播磨姫路 52 万石を与えられて**「西国将軍」の異名を取る大名となる。1601-1609 年に現存の壮大な姫路城**を築城・大改築。世界文化遺産・国宝として現存する最大級の城郭建築は、輝政の事績そのもの。
1613 年姫路城で 49 歳で没。子らは岡山・鳥取・赤穂などに分知された。
3. 池田督姫/良正院(1565-1615)— 家康次女、輝政継室
徳川家康の次女、母は西郡の方。最初は北条氏直に嫁いだが小田原落城後に未亡人となり、1594 年に池田輝政の継室として再嫁。忠継・忠雄ら 5 男 2 女を産み、家康娘婿としての池田家の地位確立に貢献。1615 年京都で 50 歳で没。彼女が産んだ子らが家康外孫として岡山藩・鳥取藩の祖となった。
4. 池田光政(1609-1682)— 江戸初期三名君、閑谷学校創設
岡山藩 2 代藩主(利隆系統、輝政の孫)。1632 年に従兄弟光仲との交換転封で鳥取 → 岡山 31 万 5000 石入り。江戸初期三名君(保科正之・徳川光圀と並ぶ)の一人。
儒学者熊沢蕃山を招聘して陽明学を奨励、1670 年に閑谷学校(庶民教育のための藩学、現存・国宝)を創設した。閑谷学校は世界最古の庶民教育機関として日本史・教育史上特筆される。藩政の革新・治水・新田開発を主導し、岡山藩の隆盛を築いた。1682 年没、享年 74。
5. 池田光仲(1630-1693)— 鳥取藩初代
忠雄の子、鳥取藩初代藩主(鳥取池田家の祖)。1632 年父忠雄の死で岡山藩を継承するも幼少のため、従兄光政との交換転封で鳥取 32 万 5000 石へ。藩政整備と治水に努めた。1693 年没、享年 64。
6. 池田慶徳(1837-1877)/池田茂政(1839-1899)— 徳川斉昭の子、徳川慶喜の兄弟
幕末の鳥取・岡山両池田家の藩主は、いずれも水戸徳川斉昭の子で徳川慶喜の兄弟。池田慶徳(鳥取藩 12 代、斉昭五男、慶喜の異母兄)と池田茂政(岡山藩 9 代、斉昭九男、慶喜の異母弟)が両家に養子入りした。両者は幕末期に佐幕と尊王の間で揺れたが、最終的に新政府軍に与し、版籍奉還・廃藩置県を経て、1884 年に侯爵に列した。
歴史的背景
戦国〜安土桃山期
恒興は信長乳兄弟として最側近を占め、本能寺の変後の清洲会議で織田家四宿老の一人に。長久手の戦いで戦死後、輝政が家督継承し、秀吉のもとで美濃 → 三河と転じた。
関ヶ原と播磨姫路 52 万石
輝政は 1594 年に家康次女督姫を継室に迎え徳川陣営入り、関ヶ原で東軍として戦い、戦後播磨姫路 52 万石を領有。1601-1609 年に姫路城を築城・大改築した。
岡山藩・鳥取藩への分知
輝政の死後、子らに姫路 52 万石が分割され、岡山藩(忠継 → 忠雄)・鳥取藩(後に光仲)として分知された。1632 年の交換転封で池田光政が岡山藩主(利隆系統)、池田光仲が鳥取藩主(忠雄系統)となり、両系統が幕末まで続く。
江戸期の岡山・鳥取
岡山 2 代光政は江戸初期三名君として閑谷学校創設・治水・新田開発で名君と称された。鳥取藩も藩政整備で安定経営。両藩は西国の中堅藩として幕末まで続く。
幕末・明治維新
幕末の鳥取・岡山両当主はいずれも水戸徳川斉昭の子で徳川慶喜の兄弟。佐幕と尊王の間で揺れた末、新政府軍に与し、明治後は両系統とも侯爵に列した。
家紋「備前蝶」
**揚羽蝶(あげはちょう)**を様式化した池田家固有の意匠で、岡山藩・鳥取藩両系統の象徴として藩寺院・藩関連施設に広く用いられた。揚羽蝶紋は元来は平氏系の紋として古い由緒を持ち、池田家が美濃源氏を称するも蝶紋を用いるのは戦国期からの伝来とされる。
関連する家系図
- 織田家 — 池田恒興は信長の乳兄弟(母養徳院が信長の乳母)として最側近、長久手の戦いで戦死
- 徳川家 — 輝政が家康次女・督姫を継室として家康娘婿、幕末池田慶徳・茂政は徳川斉昭の子で慶喜の兄弟
- 豊臣家 — 恒興死後の池田家は秀吉に仕え、輝政は秀吉のもとで勢力を拡大
出典
ランク A
- Wikidata: Q707788(池田輝政)、2026-05-01 verified
ランク B
- 該当なし(Wikipedia 中心の Draft 段階)
ランク C(Wikipedia、2026-05-01 確認)
参考
- 岡山大学附属図書館池田家文庫(一次資料群、未照合)
本家系の全体像を掴む
上位 Pillar
- 戦国武将と家系図 → — 戦国武家の系譜を俯瞰
関連ランキング
- 戦国武将ランキング → — 戦国期の主要武将を比較
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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部