サヴォイア家の家系図 — イタリア統一を成し遂げた最後のイタリア王家
サヴォイア家は、11 世紀にアルプス西側の小領主として現れたサヴォイア伯家から始まり、サヴォイア公(1416-)、サルデーニャ王(1720-)を経て、1861 年にヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世が初代イタリア国王に即位した一族である。カミッロ・カヴール首相と共にイタリア統一(リソルジメント)を完成させ「祖国の父」と呼ばれた。1900 年ウンベルト 1 世アナキスト暗殺、ファシズム期の責任問題、第二次大戦敗戦を経て、1946 年 6 月 2 日国民投票で共和制移行が決定。最後の王ウンベルト 2 世は在位わずか 34 日(「5 月王」)で退位、ポルトガル亡命となった。サヴォイア家男子は 1948 年から 2002 年までイタリア入国を禁じられ、現当主はヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア(1937-、存命)。
概要
- 起源: 11 世紀ウンベルト白手伯(サヴォイア伯)、サヴォイア地方(現フランス・サヴォア県およびイタリア北西部)
- 時代: サヴォイア伯(11 世紀-)→ サヴォイア公(1416-1720)→ サルデーニャ王(1720-1861)→ イタリア王(1861-1946)
- 拠点: シャンベリー(中世)→ トリノ(近世)→ ローマ(クイリナーレ宮殿、1871 年以降)
- 家紋: 赤地に白十字(サヴォイア十字、Croce di Savoia)
- 特徴: イタリア統一の中心、20 世紀ファシズム容認の汚名と 1946 年共和制移行で完全廃止
代表人物
1. ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世(1820-1878)— 祖国の父
初代イタリア国王(在位 1861-1878)、サルデーニャ王(在位 1849-1861)。父カルロ・アルベルトの 1849 年退位を受けて即位。首相カミッロ・カヴールを起用し、1859 年第二次イタリア独立戦争(対ハプスブルク家オーストリア、ナポレオン 3 世フランスと同盟)、1860 年ガリバルディの千人遠征による両シチリア王国併合を経て、1861 年 3 月 17 日にトリノでイタリア王国建国を宣言、初代国王に即位。1866 年プロイセンと同盟して対オーストリア戦勝でヴェネト獲得、1870 年ローマ占領で教皇領を廃止、イタリア統一を完成させた。「祖国の父(Padre della Patria)」と尊称される。
2. ウンベルト 1 世(1844-1900)— アナキスト暗殺された王
第 2 代イタリア国王(在位 1878-1900)。ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世の長男。妻はサヴォイア家分家サヴォイア=ジェノヴァ系のマルゲリータ(ピザ・マルゲリータの語源)。三国同盟(1882 年、独・墺との結成)と植民地拡張(エチオピアでの 1896 年アドワの大敗)で批判を浴び、1898 年ミラノ労働者デモへの軍鎮圧で 100 人以上の犠牲者を出した。1900 年 7 月、モンツァで米国経由のイタリア人アナキストガエターノ・ブレッシに狙撃され死去。アナキストの『プロパガンダ・バイ・ザ・ディード』時代の象徴的事件。
3. ヴィットーリオ・エマヌエーレ 3 世(1869-1947)— ファシズム容認の責任
第 3 代イタリア国王(在位 1900-1946)兼エチオピア皇帝(1936-1941)兼アルバニア王(1939-1943)。父暗殺で即位。1915 年第一次世界大戦に三国同盟を破棄して連合国側で参戦、戦勝でトリエステ・南チロル等を獲得。1922 年ムッソリーニのローマ進軍を受けて首相任命を承諾、以後 21 年間ファシズム体制を国王として容認した。1940 年第二次大戦に枢軸国側で参戦、1943 年ムッソリーニ罷免・連合国降伏を主導したが信用回復ならず、1946 年 5 月に長男ウンベルトに譲位、自身はエジプトへ亡命して翌年没。ファシズム容認の責任で歴史的評価は厳しい。
4. ウンベルト 2 世(1904-1983)— 在位 34 日の「5 月王」
最後のイタリア国王(在位 1946 年 5 月 9 日-6 月 12 日、わずか 34 日)、「5 月王(Re di Maggio)」。父ヴィットーリオ・エマヌエーレ 3 世のファシズム容認責任を回避するため譲位を受けて即位。しかし 6 月 2 日国民投票で君主制廃止・共和制移行が決定(賛成 1,200 万・反対 1,000 万)、6 月 12 日に退位を受け入れポルトガル・カスカイスへ亡命。1947 年制定のイタリア共和国憲法第 13 暫定規定により、サヴォイア家男系男子はイタリア入国を永久に禁じられた(2002 年憲法改正で解除)。亡命中も「イタリア国王」として振る舞い続け、1983 年ジュネーヴで病没。
5. ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア(1937-、現当主)
サヴォイア家現当主(1983-、存命)。ウンベルト 2 世の長男。1948 年憲法暫定規定により幼少期からスイス・ポルトガル等で亡命生活、2002 年に憲法改正で初めて 65 歳でイタリア訪問が認められた。スイス国籍を取得しジュネーヴで実業家として活動。長男エマヌエーレ・フィリベルト(1972-)が次期当主・王位請求者で、テレビ番組『Ballando con le Stelle』2009 年優勝でも知られる。
歴史的背景
創始期(11-15 世紀)
ブルゴーニュ王国時代の小領主ウンベルト白手伯(Umberto I Biancamano)を祖とし、アルプスの両側(現フランス・サヴォア地方とイタリア・ピエモンテ州)に領土を持つ伯爵家として現れた。1416 年に神聖ローマ皇帝ジギスムントからサヴォイア公に格上げされた。
サルデーニャ王国期(1720-1861)
1713 年スペイン継承戦争のユトレヒト条約でシチリア王となり、1720 年にハプスブルク家とサルデーニャ島を交換してサルデーニャ王に。首都はトリノ。19 世紀にはイタリア統一運動(リソルジメント)の中心となり、カルロ・アルベルト(在位 1831-1849)が 1848 年憲法(Statuto Albertino、後のイタリア王国憲法の原型)を発布。
イタリア王国期(1861-1946)
ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世とカヴール首相の指導で 1861 年イタリア統一達成。1870 年ローマ併合で教皇領が廃止された。20 世紀にはヴィットーリオ・エマヌエーレ 3 世がムッソリーニのファシズム体制を容認、第二次大戦の敗戦を経て 1946 年 6 月 2 日国民投票で共和制移行が確定し、85 年の王朝史が終わった。
共和制下の現代(1946-)
ウンベルト 2 世ポルトガル亡命、1948 年憲法暫定規定によりサヴォイア家男系男子のイタリア入国永久禁止(2002 年改正で解除)。家系は私人として亡命生活を続け、現当主はヴィットーリオ・エマヌエーレ、次期当主はエマヌエーレ・フィリベルト。長女ヴィットーリア(2003-)の女系継承指名を巡って、サヴォイア=アオスタ分家との対立が継続中。
家紋
サヴォイア十字(Croce di Savoia):赤地に白十字(ギュールズ地に銀十字)。11 世紀十字軍時代に由来とされる。1848 年以降、イタリア国旗(緑・白・赤の三色旗)の中央にサヴォイア十字が配されたものがサルデーニャ王国旗 → イタリア王国旗として採用され、1946 年共和制移行で十字を除いた現行国旗となった。
関連する家系図
- ハプスブルク家 — 19 世紀イタリア統一戦争の宿敵、シチリア・ロンバルディア・ヴェネトを巡る攻防
- ナポレオン家 — ナポレオン 3 世が 1859 年プロンビエール密約でサヴォイアと同盟、サヴォイア・ニース割譲の代償
- ブルボン家 — ブルボン=ナポリ・ブルボン=パルマ家との婚姻網、両シチリア王国併合の対象
- 英王室 — 19 世紀後半外交、世界大戦期の連合国
- ホーエンツォレルン家 — 1866 年普墺戦争の同盟、第一次大戦敵対
関連 Pillar / Ranking
- 世界王室ランキング — 欧州王朝の比較
出典・参考文献
ランク A
- Wikidata「ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世」(Q19614)「ウンベルト 1 世」(Q170579)「ヴィットーリオ・エマヌエーレ 3 世」(Q19610)「ウンベルト 2 世」(Q170499)
ランク B
- 藤澤房俊『イタリア統一運動史』白水社、2007
ランク C
- Wikipedia 日本語版・英語版「サヴォイア家」「House of Savoy」「ウンベルト 2 世(イタリア王)」
あなたの家系図を作る
家系図ずかんで自分の家系図を作る →(登録不要・無料)
最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部