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公家古墳〜飛鳥時代(6-7 世紀)

蘇我氏

6-7 世紀の飛鳥時代に大臣として朝廷を主導した古代豪族。蘇我馬子は崇峻天皇暗殺・物部氏討滅・聖徳太子との並立統治を主導し、孫の蘇我入鹿乙巳の変(645)で中大兄皇子・中臣鎌足に暗殺され、父の蝦夷は甘樫丘の邸宅で自害して宗家は滅亡。仏教受容を推進した渡来系協力豪族で、傍流の蘇我倉山田石川麻呂以降は石川朝臣として残存した。

  • 人物
    9
  • 家族構造
    3
  • verified
    60%
  • 信頼度
    ★★

蘇我氏 主要人物

9 人物のうち先頭 15 名 ・ 3 家族構造
  • 1蘇我石川宿禰蘇我氏祖(伝説)
  • 2蘇我稲目506-570大臣
  • 3蘇我馬子551-626大臣
  • 4蘇我蝦夷586-645大臣
  • 5蘇我入鹿611-645乙巳の変被害者
  • 6蘇我倉山田石川麻呂?-649右大臣
  • 7蘇我堅塩媛欽明天皇妃
  • 8蘇我小姉君欽明天皇妃
  • 9蘇我刀自古郎女聖徳太子妃
  • 10蘇我倉麻呂SPARQL自動拡張
  • 11境部摩理勢550-628SPARQL自動拡張
  • 12蘇我堅塩媛SPARQL自動拡張
  • 13蘇我小姉君SPARQL自動拡張
  • 14太媛SPARQL自動拡張
  • 15刀自古郎女SPARQL自動拡張

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もっと詳しく — 蘇我氏 の歴史と人物像を読む

蘇我氏の家系図 — 飛鳥時代に朝廷を支配した崇仏派豪族

6-7 世紀の飛鳥時代に大臣として朝廷を主導した古代豪族。蘇我馬子が崇峻天皇暗殺・物部守屋討滅・推古朝の聖徳太子との並立統治で全盛期を築いたが、孫の入鹿乙巳の変で暗殺され、宗家は滅亡した。

概要

  • 時代: 6 世紀前半(稲目)〜 7 世紀中葉(蝦夷・入鹿)
  • 拠点: 大和国高市郡(現 奈良県明日香村周辺)、甘樫丘
  • 役職: 大臣(おおおみ)として朝廷を主導
  • 特徴: 渡来系氏族との結びつき、仏教の受容推進
  • 終焉: 645 年 6 月 12 日(旧暦)の乙巳の変で宗家滅亡
  • 家紋: 古代豪族のため家紋制度以前。氏神は宗我都比古神社(橿原市)

代表人物

1. 蘇我稲目(506?-570)

蘇我氏が中央政権の中核に躍り出る基礎を築いた6 世紀中頃の大臣。欽明天皇の外戚となり、娘の堅塩媛・小姉君を入内させて用明・崇峻・推古ら 3 代天皇の祖父となった。百済から伝来した仏教(公伝 538 または 552)を私的に礼拝し、これが排仏派の物部尾輿との宗教対立に発展。蘇我氏の権力源泉である「天皇外戚」と「崇仏」の二本柱を確立した人物といえる。

2. 蘇我馬子(551?-626)

蘇我氏全盛期の象徴。稲目の子として家督を継ぎ、587 年の丁未の乱で排仏派の物部守屋を討滅し、宗教戦争を蘇我氏の勝利で終結させた。さらに 592 年、自ら擁立した崇峻天皇が反蘇我的姿勢を強めると、東漢駒に崇峻天皇を暗殺させるという日本史上唯一の天皇暗殺を主導した。代わって姪の推古天皇を即位させ、聖徳太子と並立して三十余年にわたり朝廷を支配。法興寺(飛鳥寺)を建立し、仏教国家の基礎を築いた。

3. 蘇我入鹿(611?-645)

蝦夷の子、皇極朝の事実上の最高権力者。父・蝦夷から早くから「大臣」格の権限を受け、643 年には山背大兄王(聖徳太子の子)を斑鳩寺で滅ぼし、上宮王家を絶やして皇位継承に介入した。これに反発した中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足は、645 年 6 月 12 日(旧暦)、皇極天皇の御前で行われた「三韓進調の儀式」の最中に入鹿を斬殺した(乙巳の変)。翌日、父・蝦夷は甘樫丘の邸宅に火を放って自害し、蘇我宗家は滅亡した。

歴史的背景

創始期(6 世紀前半)

蘇我氏の出自には諸説あり、武内宿禰の子・蘇我石川宿禰を祖とする伝承を持つが、実在性は確認されない。実質的な始祖は蘇我稲目とされ、葛城地方に勢力を張った旧豪族と渡来系氏族(東漢氏・西文氏)を統括することで台頭した。

全盛期(6 世紀末〜7 世紀前半)

馬子・蝦夷・入鹿の三代は、天皇の外戚かつ大臣という二重の権力基盤を築いた。崇峻天皇暗殺(592)、推古朝での聖徳太子との並立統治、舒明・皇極朝での独占支配と、約 60 年にわたって朝廷を実質支配した。仏教の国教化、遣隋使派遣、冠位十二階制定、十七条憲法(推古朝)の背景にも蘇我氏の影響が見える。

終焉と傍流(645 年以降)

乙巳の変(645)で宗家は滅亡したが、傍流の蘇我倉山田石川麻呂は中大兄皇子側に与して改新政府の右大臣となった。しかし 649 年に異母弟・蘇我日向の讒言で謀反の疑いをかけられ、山田寺で自害。以後、蘇我氏は石川朝臣と改姓して中下級貴族として残存し、奈良時代の石川年足、平安初期の石川河主らに連なる。

家紋

古代豪族の蘇我氏は家紋制度以前の存在で、特定の家紋は持たない。象徴としては氏神宗我都比古神社(奈良県橿原市)の紋章や、邸宅のあった甘樫丘・飛鳥寺の意匠が後世に蘇我氏のイメージとして用いられることがある。

関連する家系図

  • 天皇家・皇室 — 蘇我氏は欽明・敏達・用明・崇峻・推古・舒明・皇極の各天皇に娘を入内させた
  • 中臣氏 — 入鹿暗殺の主導者・中臣鎌足を出した祭祀氏族
  • 物部氏 — 587 年の丁未の乱で蘇我馬子に滅ぼされた排仏派軍事氏族
  • 藤原摂関家 — 蘇我氏滅亡後の朝廷を主導した、中臣鎌足から始まる新興貴族
  • 天皇家・皇室の系譜(Pillar) — 古代天皇と外戚関係の俯瞰

出典・参考文献

ランク A

  • 日本書紀』(720 年成立)— 蘇我氏に関する基本史料。乙巳の変・崇峻天皇暗殺等の主要事件記述

ランク B

  • 倉本一宏『蘇我氏: 古代豪族の興亡』中央公論新社(中公新書)、2015 年

ランク C

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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

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プリセット ID: soga / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00