メインコンテンツへスキップ
家系図ずかん
家系図を作る
公家古代〜平安〜近世(前田家を経て現代まで)

菅原氏(菅原道真の家系)

土師氏(野見宿禰末裔)から出て、桓武朝の菅原清公が菅原朝臣姓を賜って成立した学問の家系。菅原道真(845-903)が右大臣まで昇進したが昌泰の変で大宰府に左遷され客死、死後に怨霊化して天神信仰の対象となり北野・太宰府天満宮など全国天満宮の御祭神として祀られる。江戸期の前田家(加賀百万石)は菅原道真末裔を自称し、家紋「梅鉢」を共有した。

  • 人物
    8
  • 家族構造
    4
  • verified
    56%
  • 信頼度
    ★★★

菅原氏(菅原道真の家系) 主要人物

8 人物のうち先頭 15 名 ・ 4 家族構造
  • 1野見宿禰土師氏祖(伝承)
  • 2菅原古人?-821菅原氏初代
  • 3菅原清公770-842文章博士
  • 4菅原是善812-880文章博士
  • 5菅原道真845-903右大臣
  • 6菅原高視876-913文章博士
  • 7菅原淳茂道真子
  • 8高辻長雅1303-1363高辻家祖
  • 9伴氏?-872SPARQL自動拡張
  • 10島田宣来子850-?SPARQL自動拡張
  • 11菅原類子SPARQL自動拡張
  • 12菅原淳茂878-926SPARQL自動拡張
  • 13菅原衍子SPARQL自動拡張
  • 14菅原寧子SPARQL自動拡張
  • 15菅原寧茂SPARQL自動拡張

※ 主要人物のみグリッド表示しています。家系図形式のフル表示は 準備中。fork ボタンから自分用に書き換えて使えます。

もっと詳しく — 菅原氏(菅原道真の家系) の歴史と人物像を読む

菅原氏の家系図 — 学問の神様・菅原道真と全国天満宮の家系

土師氏から出て桓武朝に菅原朝臣姓を賜った学問の家系。菅原道真が右大臣まで昇進するも昌泰の変で大宰府に左遷されて客死し、死後天神信仰の御祭神として全国の天満宮で祀られる。江戸期の前田家(加賀百万石)も道真末裔を称した。

概要

  • 時代: 8 世紀末(菅原姓賜与)〜現代(天満宮として)
  • 拠点: 大和国菅原邑(現 奈良市菅原町)→ 京都
  • : 土師氏(野見宿禰末裔)の傍流から、菅原古人が桓武朝に菅原姓を賜与(781)
  • 特徴: 文章博士・大学頭を世襲する学問の家系、紀伝道(漢詩文・歴史学)の中心
  • 家紋: 梅鉢(加賀梅鉢、天神紋とも) — 道真が梅を愛したことから

代表人物

1. 菅原清公(770-842)

菅原氏を学問の家系として確立した人物。古人の子として桓武・嵯峨朝の文章博士・大学頭を務め、804 年に遣唐使として唐に渡って当時の最先端学問を吸収した。帰国後は『凌雲集』『経国集』など勅撰漢詩集の編纂に関わり、平安初期の漢詩文興隆をリードした。子・是善、孫・道真と三代続く学者の家系を築いた基礎を作った。

2. 菅原道真(845-903)

学問の神様として全国の天満宮で祀られる平安前期の政治家・学者。是善の子として 845 年に生まれ、若くして文章博士となった。寛平の治を主導した宇多天皇の側近として 894 年に遣唐使廃止を建議し、これが日本独自の国風文化形成の契機となった。

醍醐朝の 899 年に右大臣(左大臣藤原時平に次ぐ朝廷ナンバー 2)に昇進したが、901 年 1 月、藤原時平の讒言により昌泰の変として大宰府権帥(権帥は名目上の役職、実際は左遷)に左遷された。大宰府への旅路で詠んだ「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」(拾遺和歌集)は別離の名歌として知られる。

903 年 2 月 25 日に大宰府で客死(享年 59)。その後、京では時平が 39 歳で早逝し、醍醐天皇皇子の保明親王・慶頼王が相次いで急死、清涼殿が落雷を受けて公卿が即死するなど天変地異が続き、これらが道真の怨霊によると恐れられた。947 年に北野天満宮が勅令創建されて以後、天神信仰の中心として全国に天満宮が広まり、現代では「学問の神様」として受験生の参拝対象となっている。

3. 菅原高視(876-913)

道真の長男。昌泰の変で父と共に左遷され、土佐介に流された。父の死後に許されて中央復帰し、文章博士・大学頭を務めた。彼の子孫が菅原氏嫡流を継ぎ、後の高辻家・五条家・東坊城家など菅家堂上六家として明治維新まで続いた。

歴史的背景

創始期(8 世紀末)

菅原氏は古代の土師氏から分かれた家系。土師氏は野見宿禰を祖とする埴輪・葬送を担う氏族で、垂仁朝に殉死の代わりに埴輪を立てる制を始めたと『日本書紀』に伝わる。8 世紀後半、土師宿禰古人が桓武天皇に「葬送氏族では昇進が難しい」として改姓を願い、781 年(宝亀 12 年)に大和国菅原邑(現 奈良市菅原町)の地名から菅原宿禰を賜与され、後に朝臣に進んだ。これが菅原氏の起点である。

全盛期(9-10 世紀)

菅原清公・是善・道真の三代は、文章博士・大学頭を世襲する学問の家系として朝廷で重きをなした。とりわけ道真は学者から右大臣まで上り詰める異例の昇進を遂げ、藤原氏との対抗上、宇多天皇に重用された。しかし 901 年の昌泰の変で道真が失脚すると、菅原氏の政治的影響力は失われ、以後は学問の家系として朝廷に仕える地位に戻った。

中世以降と前田家

道真の子孫は菅家堂上六家(高辻・五条・東坊城・唐橋・桑原・清岡)として堂上公家に列し、明治維新まで存続して伯爵・子爵に叙された。

また、戦国期から江戸期にかけて、加賀百万石の前田家は菅原道真末裔を自称し、家紋「加賀梅鉢」を用いた。前田利家の祖父・前田利春の頃に菅原系図を整え、幕府編纂の『寛永諸家系図伝』にもその系譜が記載される。実際の血統は確認できないが、近世大名が古代名族の末裔を称することは一般的で、前田家はその代表例として知られる。

家紋

梅鉢(うめばち)。道真が梅を愛し、左遷時に「東風吹かば」の歌を詠んだ故事から、天神信仰と共に菅原氏・天満宮系神社の象徴として広まった。加賀梅鉢は前田家が用いた変種で、花弁の数や芯の意匠が独特。日本各地の天満宮で授与される御守・御札にも梅鉢紋が使われる。

関連する家系図

出典・参考文献

ランク A

  • 日本三代実録』(901 年成立)— 菅原是善・道真の同時代記録

ランク B

ランク C

あなたの家系図を作る

家系図ずかんで自分の家系図を作る →(登録不要・無料)

学問の家系の三代の歩みを辿るように、自分の家族の系譜にも継承される「文化」があるかもしれません。


最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

家系図ずかんとは

  • 端末完結 — データを送らない
  • 出典付き — 偉人図鑑は全件参照あり
  • 完全無料 — 登録もログインも不要
  • 64 アバター — 好きな顔を選べる
今すぐ作ってみる →
敬老の日敬老の日七五三七五三結婚式結婚式自分史自分史
プリセット ID: sugawara / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00