安田家の家系図 — 富山藩下級武士から金融家へ
家系図ずかん編集部 | 公開 2026-05-01 | Public-ready(★★)
富山藩下級武士の家に生まれた安田善次郎(1838-1921)が、幕末の江戸で両替商『安田屋』(1864)を開業、明治期に安田銀行(1880)・安田生命(1880)・安田火災(1887)などを設立、四大財閥の一角『安田財閥』を一代で築いた。1921年9月、神奈川県大磯の別邸で朝日平吾により殺害され、84歳で死去。財閥は二男善五郎・養子善四郎らに継承されたが、戦後の財閥解体を経て創業家による直接経営は終息した。安田家の系譜は現代まで続いている。
概要
- 起源: 越中国富山藩下級武士の家
- 時代: 幕末から現代まで180年余
- 拠点: 富山→江戸日本橋、明治以降は東京
- 家紋: 丸に違い鷹の羽(伝統的、要確認)
- 家業: 両替商から金融業へ展開
代表人物
安田善次郎(1838-1921)
安田財閥創業者。富山藩下級武士安田善悦の長男として生まれ、家計困窮の中1858年に20歳で江戸へ出奔。1864年(元治元)に江戸日本橋小舟町で両替商『安田屋』を開業。明治維新を機に新政府御用為替方となり、1876年に第三国立銀行頭取、1880年に安田銀行(個人銀行)を独立設立、同年に共済五百名社(後の安田生命保険)、1887年に東京火災保険(後の安田火災保険)を設立、銀行・生命保険・損害保険の金融 3 部門を擁する事業集団を形成した。第一次大戦景気で財閥規模に達し、四大財閥の一角となる。
1921年(大正10)9月28日、神奈川県大磯の別邸『寿楽庵』で朝日平吾により殺害された。享年84。1925年に東京帝国大学安田講堂(息子善五郎・養子善四郎が遺志を継承して寄贈完成)が建立され、現在も東京大学の建築として残る。
安田善五郎(1879-1936)
安田家2代当主(1921年家督相続)。父善次郎の歿後、安田財閥本社『安田保善社』(1912設立)社長として安田財閥を統括。1923年関東大震災では本社業務継続に尽力、1925年の安田講堂寄贈を実現した。1936年没。
安田善四郎(1873-1937)
善次郎の養子(実家は長野県の医家伊藤家)、安田銀行頭取(1922-37)。1893年に安田家へ養子入り、安田銀行で要職を歴任、1922年に頭取に就任した。
安田善三郎(1892-1947)
善次郎の三男。安田家の系譜を継ぐ一人。
歴史的背景
創始期(幕末-明治初期)
富山藩下級武士の家から江戸へ出奔した善次郎が、両替商から金融業へと一代で身を起こした明治期の起業家の一例。下級武士出身という出自は、岩崎(土佐地下浪人)・古河(京都商人)など他の財閥創業者と共通する近代資本家の典型像でもある。
金融特化財閥(明治-大正)
他の財閥(三井・三菱・住友)が多角化する中、安田は金融 3 部門(銀行・生命・損害保険)に特化した。1893年に安田銀行株式会社化、1907年1,000万円増資、1909年に安田貯蓄銀行設立、1912年に安田保善社設立で財閥本社化を実現した。
善次郎の死去と継承(1921年)
1921年9月、善次郎は神奈川県大磯の別邸で朝日平吾により殺害された(享年84)。財閥は二男善五郎・養子善四郎らに継承された。
戦後と現代
1945年GHQによる四大財閥解体を経て、創業家による直接経営は終息した。安田家の系譜は現代まで続いている。
家紋
安田家の家紋は『丸に違い鷹の羽』とされる(富山藩下級武士の伝統的家紋として安田家が用いた)。鷹の羽を二本組み合わせ、丸で囲んだ意匠で、武家由来の家紋。安田善次郎が江戸へ出てからは商業活動の中で使用は限定的だった。
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出典・参考文献
ランク B(権威ある二次資料)
- 矢倉勝『人間 安田善次郎』有楽出版社、1979
ランク C(一般書・百科事典)
- Wikipedia「安田善次郎」「安田財閥」
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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部