桂宮家の家系図 — 桂離宮を造営した宮家、1881 年に断絶
家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Public-ready(信頼度 ★★★)
[公家] [桃山期〜明治期] [日本(京都・東京)]
桂宮家は、四親王家(伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮)のひとつ。1589 年、正親町天皇第 6 皇子の系統である智仁親王(豊臣秀吉の猶子の経歴も持つ)を初代として創設(当初の宮号は八条宮、後に常磐井宮・京極宮を経て 1810 年から桂宮)。桂離宮(京都・西京区桂、回遊式庭園と数寄屋造の御殿)の造営者。家領約 3,000 石。1881 年(明治 14)、光格天皇皇女・淑子内親王(1829-1881)の薨去をもって断絶し、現代の継承はない。家領は皇室に返上され、桂離宮は皇室財産として宮内省 → 宮内庁の管理下に置かれ、現代では宮内庁が事前申込制で参観を受け入れる文化財。
同名の混同に関する注記: 本記事の「桂宮(かつらのみや)」は皇族の宮家(1589 創設・1881 断絶)です。長州出身で第 11/13/15 代内閣総理大臣を務めた桂太郎(かつら たろう、1848-1913)とは系統が別の人物・別の家で、無関係です。
概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 家祖 | 智仁親王(1579-1629、誠仁親王第 6 皇子、豊臣秀吉猶子) |
| 創設 | 1589 年(天正 17、豊臣秀吉期) |
| 時代 | 桃山期 〜 1881 年(断絶) |
| 拠点 | 京都(桂離宮、八条邸)、東京(明治以降) |
| 家紋 | 十六葉八重表菊(皇族紋) |
| 家格 | 四親王家(伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮)のひとつ |
| 宮号変遷 | 1589-1665 八条宮 → 常磐井宮 → 京極宮 → 1810- 桂宮 |
| 代表的事績 | 桂離宮の造営(智仁・智忠親王 2 代にわたる完成) |
| 断絶の経緯 | 1881 年、淑子内親王(光格天皇皇女、桂宮家最後の当主)薨去 |
代表人物
1. 智仁親王(1579-1629)— 家祖、桂離宮造営の発案者
桂宮家(初代当時は八条宮家)初代。正親町天皇第 6 皇子の誠仁親王(陽光院太上天皇)の第 6 皇子で、後陽成天皇の弟。
1589 年(天正 17)、豊臣秀吉の猶子となる。秀吉は当時、関白・太政大臣の地位にあり、智仁親王を猶子として迎えた。一時は智仁親王が秀吉の後継候補とされたが、1593 年の豊臣秀頼の誕生によりこの構想は取りやめとなったとされる。詳しくは 豊臣家の家系図 を参照。
同 1589 年に八条宮として宮家を創設、当初の家禄 3,000 石。後に桂離宮(京都・西京区桂、現在の桂離宮)の造営に着手、回遊式庭園と数寄屋造の御殿の作庭を進めた(完成は子・智忠親王の代)。智仁親王は和歌・漢学・書道にも親しんだ文化人として知られる。1629 年薨去、享年 50。
補足: 本記事の智仁親王が始めた「桂宮家」は、明治期の元総理大臣桂太郎(1848-1913)の家とは無関係。桂太郎は長州毛利氏の家臣の出で、家系は別。
2. 智忠親王(1619-1662)— 桂離宮の完成、加賀前田家との婚姻
桂宮家 2 代(八条宮 2 代)、智仁親王の長男。父智仁親王の遺志を継いで桂離宮の造営を進め、1645-1655 年頃に中書院・楽器の間・新御殿などが智忠親王の代で整備されたとされる。
桂離宮はその後、近代以降に建築史的な観点から再評価が進んだ建築群として知られる。1933 年に来日した独建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)が桂離宮を訪問し、その滞在記で桂離宮を高く評価したことは広く知られている(具体的な引用句は出版・翻訳ごとに異同があるため、本記事では引用句の直接転載は控える)。
智忠親王は加賀藩主前田利常の三女・富姫(智忠親王妃)を妻に迎え、加賀藩前田家(100 万石)との婚姻関係を結んだ。詳しくは 前田家の家系図 を参照。
1662 年薨去、享年 42。
3. 穏仁親王(1643-1665)・長仁親王(1655-1675)— 若死による継承不安定期
桂宮家 3 代・穏仁親王は智忠親王の長男だが、1665 年に 22 歳で若死。後継男子なく、宮家継承で兄弟・養子のやり取りが必要となった。後水尾天皇皇子・長仁親王が養子として 4 代を継いだが、1675 年に 21 歳で若死。
連続する若死により桂宮家の宮号は八条宮 → 常磐井宮 → 京極宮と改称しつつ、皇族養子で継承する形態となった。江戸期を通じて家系が幾度も継承の危機を経験し、最終的に 1810 年に光格天皇皇子・盛仁親王を迎えて桂宮として再興することになる。
4. 盛仁親王(1810-1811)— 「桂宮」の宮号成立
光格天皇の第 5 皇子。1810 年に桂宮(従前の京極宮の宮号を改称)初代として家継承を予定されたが、生後数か月で急死。これにより光格天皇皇女・淑子内親王が後継として桂宮家継承を担うことになる。
宮号「桂宮」の名は盛仁親王の継承から正式に成立し、以後、淑子内親王の代まで桂宮の宮号で記録される。
5. 淑子内親王(1829-1881)— 桂宮家最後の当主、女性親王家当主の稀有な事例
桂宮家最後の当主(12 代相当)。光格天皇皇女(母は東京極院)。盛仁親王(同母弟)の急死により、皇女として桂宮家を継承する異例の措置がとられた。女性が親王家当主を務めた事例は四親王家史上稀であり、近世-近代日本の皇族史において特筆される。
淑子内親王は明治維新を経て皇族として東京に移り、1881 年(明治 14)10 月に東京で薨去、享年 52。男子なく、これをもって桂宮家は断絶。家領は皇室に返上され、桂離宮は皇室財産として宮内省 → 宮内庁の管理下に置かれた。
その後、桂離宮は今日まで皇室の御用地として維持され、宮内庁が事前申込制で参観を受け入れる文化財として継承されている。
歴史的背景
創始期 — 智仁親王と豊臣秀吉
桂宮家(初代名・八条宮家)は、1589 年(天正 17)に正親町天皇第 6 皇子・誠仁親王の第 6 皇子であった智仁親王によって創設された。同じ 1589 年、智仁親王は豊臣秀吉の猶子となった。秀吉は当時、関白・太政大臣の地位にあり、智仁親王を猶子として迎えている。
一時は智仁親王が秀吉の後継候補とされたが、1593 年の豊臣秀頼の誕生でこの構想は取りやめとなったとされる。秀吉と皇胤の関係を示す史実のひとつとして知られる。詳しくは 豊臣家の家系図 を参照。
智仁親王は宮家を創設するとともに、桂(京都・西京区桂)の別業の造営に着手、これが現在の桂離宮の起点となる。
江戸期 — 桂離宮の完成と継承の経緯
智仁親王の没後、子・智忠親王の代に桂離宮の主要部の整備が進められた。智忠親王は加賀藩主前田利常の三女・富姫を妻に迎え、加賀前田家との婚姻関係を結んでいる。詳しくは 前田家の家系図 を参照。
3 代穏仁親王・4 代長仁親王の連続する若死により、桂宮家(当時は八条宮 → 常磐井宮 → 京極宮と改称)は継承の不安定な時期を経験した。皇族養子による継承で家を維持しつつ、約 250 年を経過した。
近世-近代 — 1810 年の桂宮再興と 1881 年の断絶
1810 年、光格天皇皇子・盛仁親王を迎えて桂宮の宮号を成立させ、家を再興した。しかし盛仁親王が生後数か月で急死したため、皇女・淑子内親王が桂宮家を継承する異例の措置がとられた。
明治維新後、淑子内親王は東京に移り、1881 年に薨去。男子なく桂宮家は断絶し、家領は皇室に返上された。桂離宮は宮内省 → 宮内庁の管理下に置かれ、現代では宮内庁が事前申込制で参観を受け入れる文化財として継承されている。
桂宮家の断絶以降、四親王家のうち有栖川宮家(1913 年断絶)も後に断絶しており、伏見宮家系統は 1947 年の 11 宮家皇籍離脱を経た。これらの宮家変遷は近現代の皇族史を理解するうえでの参照点となる。詳しくは 有栖川宮家の家系図 と 伏見宮家の家系図 を参照。
桂離宮について
桂宮家の最大の文化遺産は、桂離宮(京都市西京区桂御園)である。智仁・智忠親王の 2 代にわたる造営により、回遊式庭園(松琴亭、賞花亭、月波楼など)と書院群(古書院・中書院・新御殿)が整備された。
1933 年に来日した独建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)が桂離宮を訪問し、その滞在記の中で桂離宮を高く評価したことは、近代以降の桂離宮の建築史的位置づけにおいて広く言及される逸話である(具体的な引用句は出版物・翻訳ごとに異同があるため、本記事では引用句の直接転載は控える)。
現代の桂離宮は、宮内庁が管理し、事前申込制で参観を受け入れる文化財となっている。詳細・参観手続きは宮内庁の公式案内に拠る。
家紋 — 十六葉八重表菊(皇族紋)
皇族の家紋として用いられる菊紋。中央の十六葉一重菊(皇室・天皇家)と区別して、皇族は十六葉八重表菊(裏に八重を重ねる)を用いる。桂宮家もこの皇族紋を使用していた。
家紋についての一般的な調べ方は 家紋の調べ方ガイド を参照。
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戸籍謄本の取得は 戸籍の取り方ガイド で、年配の家族からの聞き取りは 祖父母への聞き取りガイド で詳しく解説しています。
出典・参考文献
ランク A
- 「桂宮家関連 Wikidata Q ページ群」(智仁親王 Q1027820、智忠親王 Q11553751、淑子内親王 Q11625870 ほか) — CC0、2026-05-01 アクセス
- 宮内庁公式ウェブサイト「桂離宮」 — 公的情報、2026-05-01 アクセス
ランク B
- 斎藤英俊『桂離宮 — その建築と庭』至文堂、1991 — 桂離宮の建築・庭園史
- 小田部雄次『皇族 — 天皇家の近現代史』中央公論新社(中公新書)、2009 — 四親王家の制度史と明治期の動向
ランク C
- 「桂宮」「桂離宮」Wikipedia 日本語版 — 概要参照、2026-05-01 アクセス
最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部 品質: Public-ready(信頼度 ★★★) — 2026-05-01 マイルド化作業実施(評価的表現の中立化、桂太郎との混同回避ディスアンビギュエーション追加、ブルーノ・タウト引用箇所の整理)