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武家平安中期-現代

清和源氏(武家の最大ルーツ)

清和天皇(56 代、850-880)の孫経基王が 961 年頃に源姓を賜って臣籍降下したことに始まる清和源氏は、日本武家の最大ルーツである。経基の子満仲が摂津国多田荘に拠点を構えて武士団を形成(摂津源氏)、その子頼信が河内国壷井に移って河内源氏を起こし、頼義義家(八幡太郎)父子が前九年・後三年の役で東国武士団との結合を深めた。義家の孫為義・曽孫義朝を経て、その子頼朝が 1192 年に鎌倉幕府を開き征夷大将軍となる。さらに義家の弟義光の系統からは武田氏、義家の子義国から足利氏新田氏が分かれ、室町幕府将軍家・戦国武田氏・徳川将軍家(清和源氏新田流を称する)など中世武家の主要家系の大半が清和源氏に系譜を辿る。本プリセットは清和源氏の祖から鎌倉幕府成立期までの源流系譜と、主要分岐を整理する。

  • 人物
    12
  • 家族構造
    9
  • verified
    63%
  • 信頼度
    ★★★
家系図
清和天皇貞純親王源 経基源 満仲源 頼信陽成天皇敦子内親王貞数親王貞元親王貞保親王源柄子棟貞王女藤原致忠の娘藤原元方の娘 (源満仲の妻)橘繁古あるいは藤原敏有の娘 (源経基の妻)惟喬親王の娘 (貞純親王の妻)源経生源頼光源頼平源頼明 (源満仲の子)源頼範源頼親源頼貞源満仲の娘 (藤原頼親室)源満仲の娘 (藤原道綱室)源満仲の娘 (藤原惟成の妻)源満仲の娘 (源宛の妻)源満仲の娘 (源敦の妻)源賢源俊の娘 (源満仲の妻)

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清和源氏(武家の最大ルーツ) 主要人物

12 人物のうち先頭 15 名 ・ 9 家族構造
  • 1清和天皇850-881第56代天皇
  • 2貞純親王873-916清和天皇皇子
  • 3源経基894-961清和源氏祖
  • 4源満仲912-997摂津源氏祖
  • 5源頼信968-1048河内源氏祖
  • 6源頼義988-1075河内源氏
  • 7源義家1039-1106八幡太郎
  • 8源義光1045-1127新羅三郎
  • 9源義国1091-1155義家三男
  • 10源為義1096-1156河内源氏
  • 11源義朝1123-1160河内源氏棟梁
  • 12源頼朝1147-1199鎌倉幕府初代将軍
  • 13河野親清SPARQL自動拡張
  • 14源義綱1042-1132SPARQL自動拡張
  • 15平直方の娘 (源頼義室)SPARQL自動拡張

※ 主要人物のみグリッド表示しています。家系図形式のフル表示は 準備中。fork ボタンから自分用に書き換えて使えます。

もっと詳しく — 清和源氏(武家の最大ルーツ) の歴史と人物像を読む

清和源氏の家系図 — 武家の最大ルーツを 7 世代で読み解く

清和天皇(56 代、850-880)の孫経基王が源姓を賜って臣籍降下したことに始まる清和源氏は、日本武家の最大のルーツです。源頼朝の鎌倉将軍家、足利尊氏の室町将軍家、徳川家康の徳川将軍家まで、中世武家政権の主要家系の大半が清和源氏に系譜を辿ります。本記事では、清和天皇から源頼朝に至る 7 世代の系譜を整理します。

概要

  • 起源: 清和天皇の孫経基王が 961 年頃に源姓を賜って臣籍降下
  • 時代: 平安中期(10 世紀後半)〜現代
  • 拠点: 京都、摂津国多田荘、河内国壷井、相模国鎌倉
  • 家紋: 笹竜胆(ささりんどう)— 後世に源氏一族の代表紋として定着
  • 特徴: 摂津源氏・河内源氏・大和源氏に分岐し、武家平氏(桓武平氏)と並ぶ中世武家の二大ルーツ

系譜の要点

清和源氏の本流は、摂津源氏の祖源満仲から三男頼信が分かれて起こした河内源氏です。河内源氏は前九年の役(1051-1062)・後三年の役(1083-1087)を通じて東国武士団との結合を深め、後の鎌倉幕府の礎となりました。

源経基(894 頃-961 頃)— 清和源氏の祖

経基は清和天皇の第 6 皇子・貞純親王の子で、961 年頃に源姓を賜って臣籍降下しました。父が第 6 皇子だったことに由来し『六孫王』と通称されます。武蔵介・鎮守府将軍として平将門の乱(939-940)の追討使となり、武家としての源氏の地位を築きました。京都市南区八条の六孫王神社は経基を祭神として祀ります。

源満仲(912 頃-997)— 摂津源氏の祖

経基の長男・満仲は摂津国多田荘(現・兵庫県川西市)に拠点を構え武士団を組織しました。藤原摂関家、特に兼家・道長父子の家人として政治に深く関わり、969 年の安和の変では源高明(醍醐源氏)失脚に加担、藤原氏による政権独占の道を開きました。長男頼光が摂津源氏を、次男頼親が大和源氏を、三男頼信が河内源氏を起こします。

源頼信(968-1048)— 河内源氏の祖

満仲の三男・頼信は河内国壷井に本拠を構え、河内源氏として独立。1031 年の平忠常の乱を追討使として下向するや戦わずして降伏させ、河内源氏が東国武士団の棟梁としての地位を獲得する画期となりました。

源頼義(988-1075)— 鎌倉と源氏の縁

頼信の長男・頼義の妻は伊予守平直方の娘で、頼義の武勇を見込んだ直方が娘を娶わせて相模国鎌倉の所領を譲ったと伝わります。これが鎌倉が源氏の根拠地となる起源で、孫の頼朝が 1180 年に鎌倉幕府を開く伏線となりました。1051-1062 年の前九年の役で陸奥守として安倍氏を討伐しています。

源義家(1039-1106)— 八幡太郎・河内源氏中興

頼義の長男・義家は石清水八幡宮で元服したため『八幡太郎』と呼ばれます。1083-1087 年の後三年の役で清原氏内紛に介入し清原清衡(後の奥州藤原氏祖)を支援。朝廷が私戦と判断し恩賞を出さなかったため、義家は私財で部下の坂東武士に恩賞を与えました。この行為が坂東武士団の絶大な信望を獲得し、約 100 年後の頼朝挙兵時に坂東武士が一斉に源氏方に付く精神的基盤となります。

源義朝・源頼朝 — 河内源氏嫡流の頂点

義家の孫為義が 1156 年の保元の乱で敗れて子義朝の手で斬首され、その義朝も 1159 年の平治の乱で平清盛に敗れ尾張で暗殺。三男頼朝(13 歳)が伊豆に流されますが、20 年後の 1180 年に挙兵、1192 年に征夷大将軍として鎌倉幕府を樹立しました。詳細は 鎌倉将軍家プリセット を参照。

主要分岐 — 清和源氏から派生した武家

分流後裔
河内源氏嫡流源頼信 → 義家 → 為義 → 義朝 → 頼朝鎌倉将軍家
足利氏義家の子・義国 → 義康足利将軍家
新田氏義家の子・義国 → 義重徳川家康が自称源流 → 徳川将軍家
武田氏義家の弟・新羅三郎義光 → 信義武田家
摂津源氏満仲 → 頼光 → 頼政平安後期の宮廷武力

家紋 — 笹竜胆

清和源氏の代表紋として後世に定着した笹竜胆(ささりんどう)は、竜胆(リンドウ)の花と笹葉を組み合わせた意匠です。源頼朝の時代(12 世紀末)はまだ家紋制度が未整備で公式紋章として使用されたかは不明ですが、南北朝-室町期に源氏一族の代表紋として広まりました。竜胆は薬草でもあり、邪気を払う霊草とされたことから採用されたと伝わります。

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出典・参考文献

ランク B(学術書)

  • 元木泰雄『源頼朝 — 武家政治の創始者』中公新書、2019
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986

ランク A(一次資料)

  • Wikidata: 清和天皇 Q336196、源経基 Q11394478、源満仲 Q1170977、源義家 Q466755、源頼朝 Q242800 ほか

ランク C(百科)

  • Wikipedia 日本語版「清和源氏」「河内源氏」「摂津源氏」
  • コトバンク「清和源氏」「八幡太郎」「新羅三郎義光」

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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

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プリセット ID: seiwa-genji / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00