桓武平氏の家系図 — 伊勢平氏と坂東八平氏の二大潮流
桓武天皇(50 代、737-806)の曽孫高望王が 889 年頃に平姓を賜って臣籍降下したことに始まる桓武平氏は、清和源氏と並ぶ日本武家の二大ルーツの一つです。本記事では、桓武天皇から平清盛に至る伊勢平氏嫡流と、坂東に下って源頼朝の主力御家人となった坂東八平氏の祖・平良文を中心に、桓武平氏の系譜を整理します。
概要
- 起源: 桓武天皇の曽孫高望王が 889 年頃に平姓を賜って臣籍降下
- 時代: 平安初期(9 世紀末)〜現代
- 拠点: 京都、伊勢国(伊勢平氏)、関東一円(坂東八平氏)
- 家紋: 揚羽蝶(あげはちょう)— 伊勢平氏嫡流を象徴する蝶紋
- 特徴: 桓武天皇から臣籍降下した平氏 4 流(高棟流・高望流・高棟王の他流)のうち、武家として最も発展したのが高望流。長男国香系の伊勢平氏と五男良文系の坂東八平氏の二大潮流に分岐
系譜の要点
本記事で扱うのは武家平氏の主流である高望流です。高望王の長男国香の系統が伊勢に下って伊勢平氏となり、正盛・忠盛・清盛の三代で平氏政権(1167-1185)を築きました。一方、五男良文の系統からは坂東八平氏(千葉・上総・三浦・秩父・畠山・河越・梶原・長尾)が分岐、鎌倉幕府草創の主力御家人となります。
桓武天皇(737-806)— 桓武平氏の遠祖
第 50 代天皇。光仁天皇の長男、母は渡来系氏族出身の高野新笠。平安京遷都(794)と蝦夷征討(坂上田村麻呂を起用)で律令国家を再建しました。多数の皇子を儲けたため皇統維持の必要から、孫世代以下を臣籍降下させて平氏・源氏を発祥させたのが桓武平氏の出発点です。詳細は 天皇家プリセット を参照。
葛原親王(786-853)— 桓武平氏祖父
桓武天皇の第 3 皇子。多くの子孫が臣籍降下して平姓を賜り、桓武平氏の主要な祖となりました。長男高棟王の系統が公家化した堂上平氏(高棟流)、孫の高望王の系統が武家化した高望流です。
平高望(850 頃-911 頃)— 桓武平氏(高望流)の祖
葛原親王の孫、高見王の子。889 年(寛平元)5 月、宇多天皇の御代に平朝臣姓を賜り臣籍降下、その後上総介として上総国(現・千葉県中部)に赴任しました。任期終了後も京に戻らず関東に土着、5 男(国香・良兼・良将・良文ほか)を儲けて坂東各地に勢力を扶植しました。長男国香の系統が後の伊勢平氏に、五男良文の系統が坂東八平氏の祖となります。
平国香(875 頃-935)— 伊勢平氏嫡流の祖
高望の長男。父の任地上総から常陸国に移って大掾となり、常陸の在地豪族源護の娘を妻に迎えて土着しました。935 年 2 月、甥の平将門(弟良将の子)との所領争い・婚姻問題から将門に襲撃され、常陸国野本で焼死。これが平将門の乱(935-940)の発端事件です。長男貞盛が父の仇として将門討伐に立ち上がり、伊勢平氏発展の契機を作りました。
平良文(886 頃-952 頃)— 坂東八平氏の祖
高望の五男。武蔵国村岡郷を本拠としたため『村岡五郎』『村岡良文』と通称されます(村岡の比定地は埼玉県熊谷市妻沼村岡説と神奈川県藤沢市村岡説あり)。鎮守府将軍として奥州にも赴任、東国広域に勢力を扶植しました。良文の子孫は坂東各地に分かれて土着し、孫忠頼以降の世代から、千葉氏(千葉常胤、頼朝挙兵の立役者)、上総氏(上総広常)、三浦氏(三浦義明・義澄)、秩父氏(畠山重忠の本家)、畠山氏(重忠)、河越氏(重頼、義経正室の父)、梶原氏(景時、頼朝側近)、長尾氏(後に上杉謙信を生む長尾景虎の祖)など、いわゆる『坂東八平氏』が分岐しました。坂東八平氏は 12 世紀末の源平合戦で多くが源頼朝方に付き、鎌倉幕府草創の主力御家人となります。
平貞盛・維衡 — 伊勢への移動
国香の長男貞盛は、父が 935 年に将門に殺害された後、京から坂東に下向。当初は将門優勢で苦戦しましたが、940 年に朝廷の追討宣旨を獲得し下野国押領使藤原秀郷と連合して将門を北山(現・茨城県坂東市岩井)で討ち取りました。戦功で従五位上・鎮守府将軍に昇進、伊勢平氏が中央軍事貴族の一角となります。貞盛の四男維衡(950 頃-1012 頃)の代で本拠を伊勢国(現・三重県北部)に移し、伊勢神宮領を拠点として武家平氏の中興を果たしました。
平正盛・忠盛・清盛 — 平氏政権への到達
維衡の孫正盛(1050 頃-1121 頃)は 1096 年に伊勢守となり、白河院の北面武士として院政期権力に深く近接。1108 年に源義家の子『悪義親』こと源義親を出雲で討伐し、源氏の有力者を倒した戦功で平氏の家格を一挙に高めました。子忠盛(1096-1153)は 1108 年に武家初の殿上人となり、瀬戸内海の海賊追討で武名を上げ、日宋貿易で巨富を築きました。孫の清盛(1118-1181)は 1167 年に武士として初めて太政大臣に登り、娘徳子が産んだ安徳天皇の外祖父として日本史上初の武家政権(1167-1185)を築きます。栄華は約 14 年に終わり 1185 年壇ノ浦で平氏は壊滅しますが、平氏政権の詳細は別 preset 平家(平清盛家) を参照してください。
主要分岐 — 桓武平氏から派生した武家
| 分流 | 祖 | 後裔 |
|---|---|---|
| 伊勢平氏嫡流 | 国香 → 貞盛 → 維衡 → 正盛 → 忠盛 → 清盛 | 平家(平清盛家) |
| 鎌倉執権北条氏 | 貞盛の子・維将(伝) | 執権北条氏 |
| 後北条氏(戦国) | 伊勢宗瑞(北条早雲)、伊勢平氏傍流を称す | 後北条氏 |
| 坂東八平氏(千葉・三浦・畠山ほか) | 良文 → 忠頼 → 各氏 | 鎌倉幕府草創の主力御家人 |
| 織田氏(自称平氏) | 諸説あり、信長は平氏を称す | 織田家 |
家紋 — 揚羽蝶
桓武平氏(伊勢平氏嫡流)を象徴する家紋として後世に定着したのが揚羽蝶(あげはちょう)です。アゲハチョウを意匠化したもので、平家・池田家・津軽家など平氏系武家が用いました。平安末期の平家の旗印『赤地に金の蝶』が原型と『平家物語』に記され、源氏の白旗・笹竜胆に対して『紅旗・蝶紋』が平家の象徴として中世以降定着しました。蝶は古来より『神秘・転生』の象徴とされ、武家としての平氏が貴族的優美さを示す表象として採用したと伝わります。
関連する家系図
関連 Pillar・Guide
出典・参考文献
ランク B(学術書)
- 元木泰雄『平清盛』吉川弘文館(人物叢書)、2011 — 第 1-2 章で伊勢平氏(高望-国香-貞盛-維衡-正度-正盛-忠盛)の系譜と中央軍事貴族化の経緯を体系的に整理
- 高橋昌明『平家の群像 — 物語から史実へ』岩波新書、2009 — 桓武平氏の起源から平家滅亡までを物語と史実を区別しながら整理
ランク A(一次資料)
- Wikidata: 桓武天皇 Q335912、葛原親王 Q11357519、平高望 Q1146617、平国香 Q1146618、平良文 Q11421237、平貞盛 Q1146619、平忠盛 Q1200965、平清盛 Q281833 ほか
ランク C(百科)
- Wikipedia 日本語版「桓武平氏」「坂東八平氏」「伊勢平氏」「平将門の乱」
- コトバンク「桓武平氏」「伊勢平氏」「坂東八平氏」「平将門の乱」
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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部