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宗教人古代中国(紀元前 6 世紀)〜現代

孔子家(世界最古の 80 代続く家系)

孔子(紀元前 551-479)を祖とする孔家は、80 代以上 2,500 年余りにわたって途切れずに男系系譜が継承されている、文字記録に残る世界でも最古級の家系。魯国(現・山東省曲阜)に発祥し、子の孔鯉は父に先立ち早世したものの、孫の孔伋(子思、『中庸』著者)が学統を継いだ。前漢武帝期の儒教正学化以降は歴代王朝が孔子子孫を厚遇し、北宋仁宗が 1055 年に「衍聖公(えんせいこう)」の世襲爵位を定めて以後、明・清まで約 850 年にわたり世襲され続けた。20 代孔融(後漢末・建安七子)、32 代孔穎達(唐、『五経正義』)、64 代孔尚任(清、『桃花扇』)、75 代孔祥熙(中華民国財政部長)といった各時代の名士を輩出。1949 年中華人民共和国成立に際して 77 代孔徳成(1920-2008)が国民党とともに台湾に渡り、1935 年に廃止された衍聖公に代えて新設された大成至聖先師奉祀官を 73 年間務めた。現家長は 79 代孔垂長(1975-、台北、存命)で、80 代の継承予定者は子の孔佑仁(2006-、存命)。2009 年完成の新版『孔子家譜』第五次修訂には世界各地に散在する子孫約 200 万人が登録されており、家系図学の最重要ケースとされる。

  • 人物
    18
  • 家族構造
    6
  • verified
    59%
  • 信頼度
    ★★
家系図
叔梁紇顔徴在孔子丌官氏孔鯉孔伋孟皮幵官氏伯夏Kong JiaoYan XiangAnnedore Leber子思

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孔子家(世界最古の 80 代続く家系) 主要人物

18 人物のうち先頭 15 名 ・ 6 家族構造
  • 1叔梁紇-622--549孔子父
  • 2顔徴在-568--528孔子生母
  • 3孔子-551--479魯国 中都宰
  • 4丌官氏孔子正室
  • 5孔鯉-532--483孔子の子
  • 6孔伋-483--402孔子の孫
  • 7孔安国-156--74孔家 11 代
  • 8孔融153-208孔家 20 代
  • 9孔穎達574-648孔家 32 代
  • 10孔宗願1010-1075孔家 46 代
  • 11孔尚任1648-1718孔家 64 代
  • 12孔令貽1872-1919孔家 76 代
  • 13孔祥熙1881-1967孔家 75 代(山西支系)
  • 14孔徳成1920-2008衍聖公
  • 15孫琪方1922-2003孔徳成正室

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もっと詳しく — 孔子家(世界最古の 80 代続く家系) の歴史と人物像を読む

孔子家の家系図 — 80 代 2,500 年、世界最古の文字記録家系

家系図ずかん編集部 公開: 2026-05-01 | 品質: Public-ready(信頼度 ★★)

[宗教人] [古代中国〜現代] [中国・台湾]

孔子(紀元前 551-479)を祖とする孔家は、80 代以上 2,500 年余りにわたって男系系譜が途切れずに継承されてきた、文字記録に残る世界でも最古級の家系である。北宋仁宗が 1055 年に「衍聖公(えんせいこう)」の世襲爵位を制定して以後、明・清まで約 880 年にわたり世襲され続けた。1949 年に 77 代孔徳成が国民党とともに台湾へ渡り、本拠地が約 2,500 年ぶりに山東省曲阜から離れた。現家長は 79 代孔垂長(1975-、台北、存命)、80 代の継承予定者は子の孔佑仁(2006-、存命)。2009 年完成の新版『孔子家譜』には世界各地に散在する子孫約 200 万人が登録されている。本記事は孔家 80 代のうち初代・思想的画期・制度的画期・現代家族の 4 軸に絞って 17 人を抜粋する。


概要

項目内容
一族名孔家(孔氏、Kong family)
発祥魯国(春秋時代の現・山東省曲阜)
拠点山東省曲阜(孔府・孔廟・孔林の「三孔」、世界遺産)→ 1949 年以降は台湾・台北
家紋等中国に紋章制度はなく、孔家の象徴は杏壇(孔子が弟子に教えた杏の木の下の教壇)、鳳凰麒麟、孔廟の扁額「大成殿」「至聖先師
時代紀元前 6 世紀(孔子誕生)〜現代(80 代継承予定者・孔佑仁存命)
主要な制度衍聖公(北宋仁宗 1055 制定〜中華民国 1935 廃止、約 880 年世襲)、大成至聖先師奉祀官(中華民国 1935 新設、現在も世襲)
登録子孫数約 200 万人(2009 年版『孔子家譜』第 5 次修訂)
世界遺産曲阜三孔(孔府・孔廟・孔林、1994 年登録)

孔家の特異性は、血縁的な男系系譜の長さと、国家による爵位世襲承認の長さが二重に重なっている点にある。漢代以降の歴代王朝(漢・魏・晋・南北朝・隋・唐・宋・遼・金・元・明・清)が王朝交代を超えて孔家本宗を厚遇し続けたため、戦乱・政権交代を通じても系譜が途切れることがなかった。


代表人物

1. 孔子(紀元前 551-479)— 儒教の開祖

春秋時代の魯国(現・山東省曲阜)に、下級貴族叔梁紇と若い妾顔徴在の子として生まれた。3 歳で父を、24 歳で母を失い、貧困の中で礼楽を独習した。20 歳代から私塾を開き、51 歳で魯国の中都宰(地方長官)、後に司寇(司法長官)まで昇るが、政争のため 55 歳で職を辞し、約 14 年間にわたって衛・陳・蔡・楚など諸国を遊説した。各国君主に自らの政治思想を売り込んだが、いずれも採用されず、68 歳で魯に帰国。晩年は『詩経』『書経』『』『』『』『春秋』のいわゆる「六経」の整備と、3,000 人とも言われる弟子の教育に専念した。

孔子の中核思想は「」(人と人との真情のつながり)と「」(社会秩序の規範)にある。これは政治・教育・修身を一つの倫理体系として統合する構想であり、東アジア漢字文化圏に 2,500 年にわたって巨大な影響を与え続けた。直弟子の言行録『論語』は四書五経の中でも最も親しまれ、現代日本の中学・高校国語教科書にも掲載される。前 479 年、魯哀公 16 年(『春秋左氏伝』に「夏四月己丑、孔丘卒」と明記)に没。享年 73。

死後の評価は時代ごとに上書きされた。後漢章帝が「褒成宣尼公」(74 年)、唐玄宗が「文宣王」(739 年)、元武宗が「大成至聖文宣王」(1307 年)、明嘉靖帝が「至聖先師」(1530 年)と諡号を贈り、清代までの中国王朝・李氏朝鮮・徳川日本でも国家祭祀の対象となった。

2. 孔伋(前 483 頃 - 前 402 頃)— 孫が継いだ系譜と学統

孔家 3 代、孔子の孫。字(一説では諡)は子思。父孔鯉(伯魚)が孔子に先立ち前 483 年に 50 歳で早世したため、孔家の血統は孫の子思を経由して継承された。子思は祖父孔子の晩年の薫陶を直接受け、また曾参(曾子)にも学んだとされる。儒教経典の四書のひとつ『中庸』の著者として伝統的に伝えられている(近代の研究では成立年代に議論があるが、子思系統で成立したことはほぼ通説)。

子思の門人の系統からは、後に「亜聖」と称される孟子(前 372-289、孟母三遷の故事で知られる)が出る。儒教史ではこの流れを「思孟学派」と総称し、宋代以降は朱子学・陽明学の核に置かれた。

孔家の系譜上、初代の孔鯉が父孔子に先立ち、孫子思が継ぐという構造は、2,500 年後の 78 代孔維益が父孔徳成より先に没し、79 代孔垂長が祖父から直接継承する事態として再演されている(後述)。

3. 孔融(153-208)— 後漢末の名士、曹操に処刑

孔家 20 代。後漢末の名士、建安七子(曹丕が選んだ建安年間の代表的文人 7 人)の一人。少年期に梨を兄に譲った「孔融譲梨」(梨を譲る)の故事は、現代中国の小学校教科書にも収録される礼譲の典型例として知られる。

後漢末の混乱期には北海相(青州北海郡太守)として地方行政に携わったが、曹操が後漢献帝を擁して権力を握ると、これを批判する論陣を張り対立。208 年、曹操の命により処刑され、一族も連座した(享年 55)。三国志プリセットで扱う曹操(魏武帝)と直接対立した孔家の人物として、また儒家の正統な家系の人物が王朝の専横に抗して死に至った悲劇例として、中国史で長く語られている。

4. 孔穎達(574-648)— 唐の大学者、『五経正義』

孔家 32 代。唐太宗・高宗朝の大学者、国子祭酒(国立大学長)。太宗の勅命により**『五経正義』180 巻**(『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』『春秋左氏伝』の正統な注釈書)を編纂し、646 年に完成させた。これは隋唐以降の科挙試験の標準テキストとして宋代まで使われ続け、東アジアの儒学解釈を 600 年以上にわたって統一する役割を果たした。日本にも遣隋使・遣唐使を通じて伝来し、平安期の大学寮・明経道で標準教科書となる。

孔家のなかで、思想史への直接的影響としては孔子・子思に次ぐ第三の重要人物と評価される。中国・朝鮮・日本・ベトナムの儒学教育を約 600 年にわたって枠付けた人物が孔家本宗から出たことは、孔家の象徴性を補強し続けた。

5. 孔宗願(1010 頃 -1075 頃)— 初代衍聖公、世襲爵位制度の起点

孔家 46 代。初代衍聖公。北宋仁宗の至和 2 年(1055)、皇帝勅命により孔家当主に「衍聖公」(聖人の徳を衍〔ひろ〕める公爵)の世襲爵位が定められ、その初代に就任した。

これ以後、衍聖公の称号は金・元・明・清・中華民国初期に至るまで約 880 年にわたって孔家本宗に世襲され、世界史上でも類例の少ない長期世襲爵位となった。爵位は曲阜県知事相当の権威に世襲領地・祭祀権を伴い、孔家は事実上の曲阜地方領主として歴代王朝交代を超えて存続した。元のモンゴル支配下、明清の異民族支配下でも衍聖公制度は廃されず、王朝側からは「儒教の正統を承認する」象徴として、孔家側からは「政権を超越した家門の連続性」として、双方にとって都合のよい仕組みとして機能した。

6. 孔徳成(1920-2008)— 最後の衍聖公、初代奉祀官、台湾移住

孔家 77 代本宗。1919 年に父 76 代孔令貽が後継男子のないまま病没した直後、側室王宝翠の遺腹の子として 1920 年 2 月 23 日に生まれ、生後百日で最後の衍聖公として襲爵した。

1935 年、南京国民政府は衍聖公の世襲爵位を廃止し、新たに大成至聖先師奉祀官(世襲・無給・特任の祭祀官)を新設、孔徳成を 15 歳で初代に任じた。これは中華民国の近代化路線(爵位廃止)と、孔子直系の祭祀継承という伝統との妥協的解決であった。

1937 年の盧溝橋事件後の日本軍の山東侵攻に際して曲阜から重慶へ避難。1949 年の国共内戦で国民党とともに台湾へ渡る。これは孔家本宗 2,500 年の歴史で初の本拠地離脱であり、家系史上の決定的転換点だった。台湾では台湾大学教授(中国哲学)、国民大会代表として活動し、1984-1993 年は考試院長(中華民国五院の一つ、人事行政の最高機関)を務めた。2008 年 10 月、台北で 88 歳で没。

死後、長男の 78 代孔維益は既に 1989 年に父より先に没していたため、奉祀官は孫の 79 代孔垂長(1975-)に直接継承された。これは孔家の系譜で約 2,500 年ぶりに孔鯉早世 → 子思継承の構造が再演された出来事である。


歴史的背景

創始期 — 孔子と孫子思(前 6 世紀〜前 4 世紀)

孔家の系譜は春秋時代の魯国に発する。父叔梁紇は下級貴族で、武勇に優れていたものの晩年に若い妾顔徴在を迎えて孔子をもうけた直後に没した(孔子 3 歳)。孔子は片親で育ち、24 歳で母をも失って完全に孤立する。

19 歳で丌官氏を娶り、20 歳で長男孔鯉を得たが、孔鯉は前 483 年に 50 歳で父孔子より先に没してしまう。このため孔家の系譜は孫孔伋(子思)を経由する形で継承されることとなった。子思は『中庸』の著者と伝えられ、その学統からは孟子(前 372-289、亜聖)が出る。儒教の血統と学統が一本化されている家系であることが孔家を他のあらゆる家系から区別する根本的な特徴であり、この一本化は子思世代で確立した。

漢唐期 — 国家祭祀対象としての孔子(前 2 世紀〜10 世紀)

前漢武帝期(前 140 年代)、董仲舒の建言により儒教が国家正学として位置づけられ、孔家も国家の保護対象となった。11 代孔安国は漢初に発見された「孔壁の書」(孔家旧宅から出土した古文体経典)の整理を担当し、古文学派の祖とされる。

後漢章帝は 74 年に孔子に「褒成宣尼公」の諡号を贈り、孔家本宗当主への国家爵位を初めて公式化した。この時期に孔家は世襲爵位への道を歩み始める。

20 代孔融が後漢末に曹操と対立して処刑される悲劇は、儒家の政治的限界を示した一方で、孔家自体の存続には影響しなかった。三国〜南北朝の戦乱期も、各王朝が孔家本宗を保護したため系譜は維持された。

唐代に入ると、玄宗が 739 年に孔子を「文宣王」と諡し、孔子廟が国家祭祀の場として整備される。32 代孔穎達は太宗の勅命で『五経正義』を編纂、646 年完成のこの注釈書は科挙の標準教科書として宋代まで使用された。孔家から東アジア儒教の標準解釈書が出たことは、家門の象徴的価値を一段と高めた。

衍聖公の時代 — 880 年世襲(1055-1935)

北宋仁宗は至和 2 年(1055)、孔家本宗当主に「衍聖公」(聖人の徳を衍〔ひろ〕める公爵)の世襲爵位を定め、46 代孔宗願を初代に任じた。これ以後、衍聖公は北宋・金・元・明・清・中華民国初期まで約 880 年にわたり継承された。元代のモンゴル支配下でも衍聖公は廃されず(55 代孔治ら)、明洪武帝期に 55 代孔希学が曲阜孔府を整備、清代の康熙帝・乾隆帝期には三孔の大規模拡充が行われた。

64 代孔尚任(1648-1718)は清初の戯曲家として戸部主事(財務官)を務めた経歴を持ち、戯曲『桃花扇』(1699 完成)で南明王朝の滅亡を描いた。儒家の正統な家系の人物が王朝劇を著すことの稀有さで知られる。

中華民国期 — 制度の転換(1911-1949)

76 代孔令貽は清末から中華民国初期にかけての衍聖公だった。1911 年の辛亥革命で清朝が滅亡すると、北洋政府は 1914 年に「衍聖公」の称号を引き続き認めた。これは新生共和国における旧体制シンボルの取り扱いとして注目される事例で、共和制と君主時代の祭祀職の連続性を保つ妥協であった。

孔令貽は 1919 年に後継男子のないまま 47 歳で病没。死後数か月後に側室王宝翠から遺腹の男子孔徳成(77 代)が生まれ、生後百日で襲爵した。

1935 年、南京国民政府は衍聖公の世襲爵位を廃止、新たに大成至聖先師奉祀官を新設して孔徳成を 15 歳で初代に任じた。これは爵位廃止という近代化路線と、孔子直系子孫による祭祀継承という伝統との妥協的解決だった。

同じ時期、孔家の山西分流(孔祥熙系)も注目される。75 代孔祥熙(1881-1967)は妻宋靄齢(孫文夫人宋慶齢・蔣介石夫人宋美齢の長姉)を通じて蔣介石・宋子文と義兄弟の姻戚関係を結び、1933-1944 年の中華民国財政部長兼行政院副院長として日中戦争期の戦時財政を担当した。「中国の四大家族」(蔣・宋・孔・陳)の孔家とはこの孔祥熙系を指し、孔子直系本宗(曲阜の衍聖公家)とは別の山西分流である点が、しばしば混同される。

台湾移住と現代 — 1949 年以降

1949 年、国共内戦で国民党が敗北すると、77 代孔徳成は孔家本宗の歴史で初めて本拠地・曲阜から離脱して台湾へ渡った。約 2,500 年続いた本拠地が国境を越えて移動したことになる。

中華人民共和国成立後の中国大陸では、文化大革命(1966-1976)期に紅衛兵による曲阜三孔の破壊・墓盗掘事件が発生したが、改革開放後の 1980 年代に修復事業が進み、1994 年には世界遺産に登録された。中国大陸でも孔子廟祭祀は復興しているが、孔家本宗の正統な祭祀権は法的・象徴的に台湾の大成至聖先師奉祀官(孔徳成 → 孔垂長)にあると国際的にも認識されてきた。

長男 78 代孔維益(1939 頃 -1989)が父孔徳成より早く没したため、孔徳成の死後 2009 年 9 月、奉祀官は孫の 79 代孔垂長(1975-)に直接継承された。これは前 483 年の孔鯉早世 → 子思継承の構造が、約 2,500 年ぶりに再演された家系史上の事件である。

80 代の現代 — 孔垂長と孔佑仁

現家長孔垂長(1975-、台北)は、毎年の孔子誕辰祭祀(9 月 28 日、台北孔廟)を主宰し、中華圏(中国大陸・香港・台湾・海外華僑)における孔家本宗の現代的代表者として活動している。

長男孔佑仁は 2006 年に台北で生まれ、誕生時に台湾各紙が「孔家 80 代誕生」と国際的に報じた。80 代という代数は世界の文字記録に残る家系のなかで前例の少ない長さであり、家系図学・系譜研究の対象として国際的に注目されている。

2009 年に完成した第 5 次修訂版『孔子家譜』には、世界各地に散在する孔子子孫約 200 万人が登録された。1996 年に着手された 13 年がかりの大規模事業で、海外華僑・在韓孔氏・在日孔氏なども含めた現代家系図学の最重要事業として評価されている。


関連する家系図

  • 三国志(魏蜀呉) — 20 代孔融(153-208)は後漢末の建安七子の一人。曹操の専横を批判して 208 年に処刑された。三国志プリセットの曹操(p001)と直接対立した孔家の人物
  • 藤原氏(摂関家) — 藤原氏は漢籍・儒学を家学とし、平安期に『論語』を含む漢文教育で家門を維持した。日本における儒教受容の主要な担い手として孔家の思想を継承
  • 徳川将軍家 — 徳川幕府は朱子学を官学とし、湯島聖堂(1690 設立)に孔子廟を建立。歴代将軍は孔家を直接の冊封関係には置かなかったが、思想体系として儒教を統治の基軸に据えた

本記事で扱っていない論点

孔家 80 代を 1 プリセットに収めることは原理的に不可能であり、本記事は初代・思想的画期・制度的画期・現代家族の 4 軸に絞って 17 人を抜粋した。以下の論点は意図的に除外しているか、最小限の言及にとどめている:

1. 衍聖公制度 880 年の歴代当主

46 代孔宗願(1055 制定)から 76 代孔令貽(1919 没)まで、衍聖公は約 30 代にわたって世襲された。本記事では 46・55・64 代の代表のみを扱い、各代の事跡は割愛している。詳細な世襲記録は『孔子家譜』第 4 次修訂版(1937)および中国の地方志(曲阜県志など)に蓄積されている。

2. 中間世代(11 代〜45 代、47 代〜63 代、65 代〜75 代)

漢唐宋の中間世代には、丞相を務めた 14 代孔光(前漢末)、47 代孔元措(金末元初の混乱期に衍聖公位を継いだ重要人物)、66 代孔毓圻(清康熙帝期)、72 代孔広森(清代経学者)など、各時代に重要な役割を果たした人物が多い。本記事ではこれらを系譜年表内で名前のみに留めた。

3. 大陸系(中国の現代孔家)と台湾系の関係

中華人民共和国は孔子記念事業を展開し、孔氏宗親聯誼会等を通じて世界の孔家子孫を糾合する事業を進めている。一方、大成至聖先師奉祀官の継承権は中華民国(台湾)にあり、両岸の孔家関係は政治的に複雑である。本記事は事実関係のみを記述し、政治的判断は控える。

4. 韓国・ベトナムの孔氏分流

李氏朝鮮では孔氏は両班の一部として存在し、現代韓国にも孔家子孫が残る。ベトナムの儒教受容と孔氏については本記事では扱わない。これらは『孔子家譜』第 5 次修訂版(2009)で初めて系統的に登録された。

5. 孔子以前の伝説的記述

孔家の伝統的記述では孔子以前にも 11 代の系譜がたどられ、最終的には殷王朝の湯王(子姓)に連なるとされる。これは伝説的記述であり、本記事では孔子を初代として扱う。考古学的・文献学的に裏付けの乏しい上古の系譜部分は『史記』孔子世家にも記載があるが、本プリセットでは独立人物としての登録は避けた。

6. 孔子の弟子(七十二賢)の系譜

『論語』に登場する顔回・子路・子貢・曾参らの弟子家系は孔家とは別系統である。これらは孔家ではなく弟子の家系として、別途の研究対象となる。本プリセットでは弟子は扱わない。

7. 山西孔家(孔祥熙系)の家系構造

75 代孔祥熙(1881-1967)の家系は孔子直系本宗(曲阜・衍聖公家)とは別の山西分流である。本記事では孔祥熙個人を扱うにとどめ、山西孔家の代々の家系構造は別プリセット化候補として残す。

8. 存命人物の私的情報

孔垂長(79 代)・孔佑仁(80 代)は存命人物であり、livingPersonPolicy: "public-only" に従い、公務(奉祀官)と公表されている家族関係(孔垂長の長男が孔佑仁)以外の私的情報(健康状態、政治信条、配偶者の私的事項など)は記述していない。


出典・参考文献

ランク A — 一次資料・公式

  • 『史記』孔子世家(司馬遷、前 91 年頃、前漢)— 孔子の伝記を独立した「世家」(諸侯級伝記体裁)に立てた最重要原典
  • 『論語』(孔子言行録、前 4 世紀ごろ成立)— 孔子直弟子・再伝弟子による編纂、家族関係の間接的言及を含む
  • 『孔子家譜』第 4 次修訂版(1937、孔氏宗譜編纂委員会)— 衍聖公直系・支系を網羅した族譜
  • 『孔子家譜』第 5 次修訂版(2009、孔子世家譜続修工作協会)— 世界各地に散在する子孫約 200 万人を登録、現代家系図学の最重要事業
  • 曲阜三孔(孔府・孔廟・孔林)— 世界遺産(UNESCO)(1994 年登録)
  • Wikidata 孔家関連 Q ページ群(CC0、2026-05-01 確認)

ランク B — 学術書・学術論文

  • 白川静『孔子伝』中央公論新社(中公文庫)、1991(ISBN: 978-4-12-201793-9)
  • 金谷治『孔子 — 生きる喜びを語る』東方書店、1991
  • 平勢隆郎『中国の歴史 2 — 都市国家から中華へ』講談社、2005(ISBN: 978-4-06-274052-7)
  • Jeffrey Kong『孔子家:中国における家の継承』Routledge、2008
  • 武内義雄『中国思想史』岩波書店(岩波全書)、1936
  • 孔德平「衍聖公制度的歴史考察」『孔子研究』中国孔子基金会、2010

ランク C — 一般書・百科事典

  • コトバンク「孔子」「孔家」「衍聖公」(2026-05-01 確認)
  • Wikipedia 日本語版「孔子」「衍聖公」(2026-05-01 確認)
  • 台湾各紙報道(聯合報・中央社など)「孔家 80 代誕生」(2006 年)

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孔家のように長く続く家系を辿るうえでは、世代をまたぐ史料の継承系譜の連続性をどう記録するかが要点になります。家系図ずかんでは以下のガイドを公開しています:


改訂履歴

日付内容
2026-05-01初版(Public-ready)、Wave A1-07 として深掘り研究ノート confucius.md から生成

最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

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プリセット ID: confucius / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00