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戦国大名戦国時代〜現代

井伊家

遠江国井伊谷の国人領主を出自とする一族。戦国末期、女城主井伊直虎(直盛娘)が幼少の養嗣子・井伊直政を育て、直政が徳川家康の小姓から「徳川四天王」筆頭に上り詰めた。1600 年関ヶ原の戦功で近江佐和山 18 万石を拝領、以後井伊家は彦根城に拠って譜代大名筆頭の格を維持した。歴代彦根藩主から5 名の大老を輩出、最後の大老が幕末の井伊直弼(1815-1860)で、安政の大獄を断行し桜田門外の変で水戸浪士に暗殺された。明治期には伯爵として華族入り。井伊家宗家は現代まで続き、彦根城・井伊家伝来史料は彦根市と協同で保存・公開されている。

  • 人物
    10
  • 家族構造
    4
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    89%
  • 信頼度
    ★★★
家系図
井伊 直盛井伊 直虎井伊直宗

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井伊家 主要人物

10 人物のうち先頭 15 名 ・ 4 家族構造
  • 1井伊直盛1506-1560井伊直虎父
  • 2井伊直虎1530-1582女城主
  • 3井伊直政1561-1602従四位下侍従
  • 4井伊直勝1590-1662井伊直政長男
  • 5井伊直孝1590-1659彦根藩 2 代
  • 6井伊直弼1815-1860従四位下侍従
  • 7井伊直憲1848-1904彦根藩 14 代
  • 8井伊直愛1910-1993井伊家 17 代
  • 9井伊文子1917-2004井伊直愛妻
  • 10井伊直岳井伊家 18 代
  • 11井伊直豪1938-2000SPARQL自動拡張
  • 12唐梅院1550-1639SPARQL自動拡張
  • 13井伊直忠1881-1947SPARQL自動拡張
  • 14尚昌1888-1923SPARQL自動拡張
  • 15井伊直宗?-1542SPARQL自動拡張

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もっと詳しく — 井伊家 の歴史と人物像を読む

井伊家の家系図 — 女城主直虎・徳川四天王・桜田門外の変、そして現代まで続く彦根の名家

井伊家は、遠江国井伊谷の国人領主を出自とし、戦国末期の存亡危機を乗り越えて徳川家康に仕え、徳川四天王筆頭として近江彦根藩 35 万石の譜代大名筆頭格となった一族である。5 名の幕府大老を輩出し、その最後となった井伊直弼(1815-1860)は、安政の大獄を断行した直後に桜田門外の変で水戸浪士に暗殺された。明治期は伯爵として華族入り、現代も彦根城を中心とする文化財の保存に関与し続けている。

概要

  • 起源: 遠江国井伊谷(現・浜松市北区引佐町)の国人領主、藤原氏支流を称する
  • 時代: 戦国時代〜現代
  • 拠点: 遠江井伊谷 → 近江佐和山 → 彦根城
  • 家紋: 井桁紋(井伊橘も併用)
  • 特徴: 徳川四天王筆頭、譜代大名筆頭格、5 名の大老輩出

代表人物

1. 井伊直虎(生年不詳-1582)— 戦国の女城主

井伊直盛の娘。許嫁の井伊直親が今川氏に誅殺された後、男系の絶えた井伊家を継ぐため出家して**「次郎法師」と名乗り、養子となる幼少の井伊直政**(虎松)を養育した。今川氏の井伊谷支配下で家を守り抜き、後の徳川治世での井伊家復興の土台を築いた。2017 年 NHK 大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公として広く知られる。近年「直虎=男性説」「別人物説」も提唱され、史料的議論は継続中。

2. 井伊直政(1561-1602)— 徳川四天王筆頭、彦根藩祖

井伊直親の子。幼少期は井伊直虎(次郎法師)に養育され、1575 年に 15 歳で徳川家康の小姓として出仕。「赤鬼」の異名を取る井伊の赤備え(武田旧臣を組み入れた赤一色の精鋭部隊)を率いて武功を重ね、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政と並ぶ徳川四天王の筆頭格となった。

1600 年関ヶ原で島津軍を追撃して鉄砲傷を負い、戦功で近江佐和山 18 万石を拝領するも、傷の悪化で 1602 年に 42 歳で没した。彦根藩井伊家の祖。

3. 井伊直孝(1590-1659)— 彦根藩 2 代、初の井伊家大老

井伊直政の次男。1615 年大坂夏の陣で武功、兄直勝に代わり彦根藩 2 代藩主となる。幕府大老として家光・家綱期に君臨、彦根藩を 35 万石に加増させた。井伊家から出た 5 名の大老の最初。豪徳寺の招き猫伝説(鷹狩の途中、寺の招き猫により雷雨を逃れた)で知られる。

4. 井伊直弼(1815-1860)— 安政の大獄と桜田門外の変

彦根藩 13 代藩主、井伊家 15 代当主。13 代藩主直亮の異母弟で 14 男として生まれ、長く部屋住みで「埋木舎」に住み茶道・国学・和歌を修めた。茶道では石州流の達人で、自著『茶湯一会集』に**「一期一会」**の理念を遺した。

1850 年に異母兄直亮の死で藩主就任、1858 年 4 月に幕府大老となる。日米修好通商条約の勅許なき調印を断行、将軍継嗣問題では紀州慶福(家茂)を成功裏に擁立した。一橋派の徳川斉昭・松平慶永らを処分し、安政の大獄で吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎らを処刑、尊攘派を厳しく弾圧した。

1860 年 3 月 3 日、江戸城登城途中の桜田門外で水戸脱藩浪士 17 名・薩摩浪士 1 名による襲撃で暗殺された(桜田門外の変)。享年 46(数え)。彼の死により幕府の権威は急速に揺らぎ、明治維新へ向かう動きが加速した。

5. 井伊直愛(1910-1993)— 36 年の彦根市長

井伊家 17 代当主。第二次大戦後、長く彦根市長(1953-1989、9 期 36 年)を務め、彦根城の保存と観光振興に尽力した。妻井伊文子(1917-2004)は旧琉球王家・尚家の出身で、近世史料の保存にも貢献した歌人として知られる。

6. 現当主(井伊直岳氏)— 18 代、存命

井伊家 18 代当主。井伊家伝来史料の保存・公開、彦根城を中心とする文化財管理に関する公務に携わる。本プリセットでは**「公人として公表している情報のみ」**を扱い、私生活・家族の詳細は記述しない(研究基準 §6 存命人物方針)。

歴史的背景

創始期(戦国前期)

井伊氏は遠江井伊谷の国人領主で、藤原氏支流を称した。今川氏の支配下にあったが、桶狭間の戦い(1560)で当主直盛戦死、許嫁直親も今川氏により誅殺、男系の継承が途絶える危機を迎えた。

復興期(直虎・直政、戦国末期)

直盛の娘・直虎が「次郎法師」として家督を守り、養子の直政(虎松)が徳川家康の小姓となる。直政は徳川四天王筆頭として武功を重ね、関ヶ原で 18 万石を拝領、井伊家は譜代大名筆頭の格を獲得した。

江戸期(彦根藩 35 万石、大老 5 名)

直孝が彦根城を居城に固め、35 万石に加増。井伊家から出た 5 人の大老(直孝・直幸・直亮・直弼・直憲の祖父直元など)は江戸幕府の中枢を支えた。

幕末(井伊直弼の死と幕府の崩壊)

直弼の安政の大獄と桜田門外の変は、江戸幕府の権威崩壊の決定打となった。彦根藩は当初の佐幕傾向から戊辰戦争では新政府軍に与し、明治を迎えた。

近代以降

1884 年に直憲が伯爵。井伊家は彦根に拠点を残し、井伊直愛が長く彦根市長を務め、文化財保存に貢献した。現代の井伊家 18 代当主も、彦根城・井伊家伝来史料の維持に関与している。

家紋

井伊氏の家紋は井桁紋。井桁(井戸の枠を上から見た形)を「井」の一字で表す紋で、「井伊」の家名を直接示す家紋として知られる。江戸期の彦根藩主家では橘紋(井伊橘)も併用された。

関連する家系図

  • 徳川将軍家 — 直政は徳川四天王筆頭、彦根藩は譜代大名筆頭
  • 新選組 — 井伊直弼の安政の大獄により尊攘派が弾圧、新選組登場の前段階
  • 坂本龍馬 — 桜田門外の変(1860)以降の倒幕運動の幕開け
  • 西郷隆盛 — 薩摩藩士の幕末活動

関連 Pillar / Ranking

関連 Guide

出典・参考文献

ランク A

  • Wikidata「井伊直政」(Q1334437)「井伊直孝」(Q877175)「井伊直虎」(Q11161448)「井伊直弼」(Q716940)
  • 彦根城博物館(井伊家伝来史料 約 4 万 5 千点)

ランク B

  • 吉田常吉『井伊直弼』吉川弘文館(人物叢書)、1985 年新装版
  • 野田浩子『井伊直政』戎光祥出版(中世武士選書)、2017 年
  • 『新修 彦根市史 第 2 巻 通史編 近世』彦根市、2008 年
  • 龍潭寺(浜松市)公式 — 井伊家の歴史

ランク C

  • Wikipedia「井伊直政」「井伊直弼」「井伊直虎」

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最終更新: 2026-05-01 執筆: 家系図ずかん編集部

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プリセット ID: ii / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00