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幕末維新志士幕末〜明治

西郷家(西郷隆盛・従道の一族)

薩摩藩鹿児島城下の下級武士・西郷吉兵衛の家に生まれた 4 兄弟(隆盛・吉二郎・従道・小兵衛)が、幕末維新・戊辰戦争・西南戦争を戦い抜いた一族。長兄西郷隆盛(1828-1877)は維新三傑の一人、明治新政府の筆頭指導者だったが、1877 年西南戦争で敗北して鹿児島城山で自刃、享年 49。三弟従道は明治政府で海軍大臣・内務大臣を歴任、元帥・公爵として長命。吉二郎は北越戦争で、小兵衛は西南戦争で戦死。隆盛は奄美大島配流中に愛加那(島妻)と結ばれ、帰郷後にイトを正室とする二重家庭を持った。

  • 人物
    11
  • 家族構造
    3
  • verified
    88%
  • 信頼度
    ★★
家系図
西郷 吉兵衛マサ西郷 隆盛西郷 吉二郎西郷 従道西郷 小兵衛イト愛加那西郷 菊次郎西郷 寅太郎西郷 菊草市来琴西郷鷹椎原政佐西郷菊草西郷糸子上村従義西郷従徳西郷従理西郷隆充伊集院須賀

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西郷家(西郷隆盛・従道の一族) 主要人物

11 人物のうち先頭 15 名 ・ 3 家族構造
  • 西郷吉兵衛1西郷吉兵衛1806-1852西郷隆盛父
  • 2マサ1809-1852西郷隆盛母
  • 3西郷隆盛1828-1877維新三傑
  • 4西郷吉二郎1833-1868西郷次男
  • 5西郷従道1843-1902小西郷
  • 6西郷小兵衛1847-1877西郷末弟
  • 7イト1843-1922西郷隆盛正室
  • 8愛加那1837-1902西郷隆盛島妻
  • 9西郷菊次郎1861-1928愛加那の長男
  • 10西郷寅太郎1866-1919西郷隆盛嫡男
  • 11西郷菊草1862-1909愛加那の長女
  • 12市来琴1832-1913SPARQL自動拡張
  • 13西郷鷹?-1862SPARQL自動拡張
  • 14椎原政佐?-1853SPARQL自動拡張
  • 15西郷菊草?-1910SPARQL自動拡張

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もっと詳しく — 西郷家(西郷隆盛・従道の一族) の歴史と人物像を読む

西郷家の家系図 — 維新三傑・西郷隆盛と 4 兄弟

家系図ずかん編集部 公開: 2026-04-22 | 品質: Draft(信頼度 ★★)

[幕末維新志士] [幕末〜明治] [日本]

薩摩藩下級武士西郷吉兵衛の 4 兄弟が、幕末維新・戊辰戦争・西南戦争を戦い抜いた一族。長兄西郷隆盛(1828-1877)は維新三傑の一人、新政府筆頭指導者となったが 1877 年西南戦争で敗北し鹿児島城山で自刃。三弟従道は明治政府で海軍大臣・元帥・公爵として隆盛とは対照的な長い栄華。次男吉二郎は北越戦争で、四男小兵衛は西南戦争で戦死。4 兄弟のうち 3 人が戦場に散る一方、従道だけが明治期の栄達を享受した対照的一族。隆盛は奄美大島配流中に島妻愛加那と結ばれ、長男菊次郎(後の京都市長)を儲けた。


概要

項目内容
一族名西郷家(薩摩下級武士)
拠点薩摩国鹿児島城下
家紋抱き菊
歴史的役割明治維新の立役者、西南戦争、明治政府中枢

代表人物

1. 西郷隆盛(1828-1877)— 維新三傑、西南戦争の英雄

島津斉彬に抜擢されて幕末政治の表舞台に立ち、奄美大島・徳之島・沖永良部島への 4 年以上の配流を経験後、1864 年に復帰。1866 年薩長同盟を坂本龍馬の仲介で結び、戊辰戦争(1868)では江戸城無血開城を勝海舟との会談で実現、明治新政府の最高指導者となった。1871 年廃藩置県を断行、陸軍大将・近衛都督

しかし 1873 年征韓論政変で大久保利通らと決裂し下野、鹿児島に帰郷。1877 年、私学校生徒の暴発に担ぎ上げられる形で西南戦争に突入、熊本城を攻めきれず敗北を重ねた末、9 月 24 日鹿児島城山で別府晋介の介錯により自刃。享年 49(満)。

死後、1889 年に名誉回復、1898 年に上野公園の銅像、1937 年に鹿児島城山の銅像が建立され、国民的英雄として記憶される。「敬天愛人」の座右銘で知られる。

2. 西郷従道(1843-1902)— 小西郷、海軍元帥・公爵

4 兄弟の三男、隆盛の 15 歳下の弟。戊辰戦争で活躍後、明治政府で陸軍卿・海軍大臣・内務大臣を歴任、1898 年元帥(海軍人として初)、公爵。1877 年西南戦争では兄隆盛と袂を分かち、政府軍側で戦った。兄とは最後の言葉を交わさないままで、この兄弟の対立は明治維新の複雑さを象徴する。

度量の大きな人物で、「成程成程」と部下の意見を聞く姿から「成程大臣」の異名。1902 年、胃癌で 60 歳没。

3. 愛加那(1837-1902)— 隆盛の奄美島妻

奄美大島龍郷の佐栄志の娘、隆盛の島妻。1859 年、配流中の隆盛と結ばれ、菊次郎(1861)・菊草(1862)の 2 子を儲けた。1862 年に隆盛が薩摩に戻る際、島妻は本籍地に帯同できない薩摩藩の慣行で別離、以後再会せず。1902 年に 65 歳で奄美で没。

隆盛の奄美時代は不遇の流罪期として重要で、愛加那との日々は隆盛の人間的成長の時期とされる。現代の奄美大島・龍郷町には愛加那・隆盛の史跡があり、奄美観光の主要スポット

4. 西郷菊次郎(1861-1928)— 京都市長、隆盛の遺産

愛加那の長男。9 歳で父隆盛のもとへ引き取られ、鹿児島で育つ。西南戦争で隆盛軍に参加、右足に被弾して負傷・切断するも生還。以後、米国留学、台湾総督府宜蘭庁長などを経て、1904-1911 年京都市長を務めた。京都の市電・道路・水道整備で京都の近代化に貢献。1928 年に 68 歳で没。

5. 西郷吉兵衛(1806-1852)— 4 兄弟の父

薩摩藩下級武士、禄 47 石余。小さな家計だったが、4 人の息子をそれぞれ独立させた。隆盛が 24 歳のとき、1852 年に母マサとともに同年中に没した。


西郷 4 兄弟の運命

4 兄弟の人生は、幕末維新の激動を象徴する:

兄弟生没最期
隆盛(長男)1828-1877西南戦争で自刃、49 歳
吉二郎(次男)1833-1868北越戦争で戦死、35 歳
従道(三男)1843-1902明治政府重鎮、元帥・公爵、胃癌、60 歳
小兵衛(四男)1847-1877西南戦争で戦死、31 歳

3 人が戦場で死に、1 人だけが栄華という対照は、西南戦争の悲劇性を示している。特に従道と隆盛は政府軍 vs 反乱軍として対峙する形となったが、従道が戦場に出ることはなく、後方で兄の死を伝え聞いた。


関連する家系図

  • 島津家 — 薩摩藩主、隆盛は斉彬に抜擢された
  • 坂本家 — 薩長同盟の仲介者、龍馬と連携
  • 毛利家 — 薩長同盟で連携、長州藩
  • 徳川家 — 江戸城無血開城で慶喜恭順を容認
  • 新選組 — 戊辰戦争で敵対
  • 大久保家(利通) — 盟友→征韓論政変で決裂→西南戦争で対立(次プリセット)

出典

ランク A

  • Wikidata Q310462、2026-04-22 verified

ランク B

  • 家近良樹『西郷隆盛』ミネルヴァ書房、2011

ランク C


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日付内容
2026-04-22初版(Draft、Phase 1 第 14 件)

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プリセット ID: saigo / schemaVersion: 1.3 / 更新: 2026-05-01T00:00:00+09:00