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新選組(近藤・土方・沖田の三家と試衛館の絆)

新選組は血縁家系ではなく、近藤・土方・沖田を中心にした試衛館の師弟・同志ネットワークです。京都での台頭から戊辰戦争での終幕までを追います。

試衛館の絆から京都、新選組、箱館戦争へ散った三家

主要人物 8試衛館から箱館へ出典は下部に整理

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最初に見るところ

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1

試衛館で近藤・土方・沖田が結びつく

天然理心流の道場を核に、多摩・江戸の若者が集まります。

2

京都で新選組として台頭する

浪士組から壬生の新選組へ進み、池田屋事件などで名を上げます。

3

戊辰戦争で近藤・沖田・土方が相次いで失われる

近藤処刑、沖田病死、土方戦死で組織は終幕します。

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家の流れ

試衛館
近藤周助近藤勇

天然理心流と近藤家の養子関係。

近藤家
近藤勇つねたま

局長近藤勇の家族。

土方家
土方義諄土方歳三

多摩の豪農から副長へ。

沖田家
沖田勝次郎沖田みつ沖田総司

姉夫婦に育てられた天才剣士。

終幕
近藤勇沖田総司土方歳三

1868-1869年に主要人物が相次いで失われる。

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家系図
世代範囲
祖先子孫
宮川 久次郎近藤 周助近藤 勇つねたま宮川久次郎近藤ふで近藤勇五郎近藤久太郎
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新選組(近藤・土方・沖田の三家と試衛館の絆) の家系図(テキスト要約・9人)

  • 宮川久次郎(?–)
  • 近藤周助(1792–1867)、配偶者: 近藤ふで
  • 近藤勇(1834–1868)、親: 宮川久次郎・近藤周助・宮川久次郎、配偶者: つね
  • つね(1837–1892)、配偶者: 近藤勇
  • たま(1864–1887)、親: 近藤勇・つね、配偶者: 近藤勇五郎
  • 宮川久次郎(?–)
  • 近藤ふで(?–)、配偶者: 近藤周助
  • 近藤勇五郎(1851–1933)、配偶者: たま
  • 近藤久太郎(1883–1905)、親: たま
線の見方丸=人物(写真または頭文字)。生没年は名前の下に表示。

新選組(近藤・土方・沖田の三家と試衛館の絆)は見方の参考として眺められます。 自分の家族の家系図は、空のテンプレートから作れます。

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ざっくり年表

人物の時間軸

近藤周助 1792-1867試衛館
死去
近藤勇 1834-1868局長
死去
つね 1837-1892近藤家
死去
たま 1864-1887近藤家継承
死去
土方義諄 1793-1835土方家
死去
土方歳三 1835-1869副長
死去
沖田みつ 1833-1907沖田家
死去
沖田総司 1844-1868一番隊
死去
  1. 1849近藤養子

    勝五郎が近藤周助の養子となる。

  2. 1863上洛

    浪士組として京都へ向かう。

  3. 1864池田屋

    池田屋事件で新選組の名が広がる。

  4. 1867幕臣化

    新選組が幕臣に取り立てられる。

  5. 1868近藤処刑

    戊辰戦争の中で近藤が板橋で処刑される。

  6. 1868沖田病死

    沖田総司が江戸で病没する。

  7. 1869土方戦死

    土方歳三が箱館で戦死する。

まず覚える人だけ

主要人物

  • 近藤周助近藤周助1792-1867試衛館

    天然理心流3代目。近藤勇を養子に迎える。

  • 近藤勇近藤勇1834-1868局長

    新選組局長。戊辰戦争で処刑される。

  • つねつね1837-1892近藤家

    近藤勇の正室。

  • たまたま1864-1887近藤家継承

    近藤勇の娘。

  • 土方義諄土方義諄1793-1835土方家

    土方歳三の父。

  • 土方歳三土方歳三1835-1869副長

    新選組副長。箱館戦争で戦死する。

  • 沖田みつ沖田みつ1833-1907沖田家

    沖田総司の姉。総司を支えた。

  • 沖田総司沖田総司1844-1868一番隊

    新選組一番隊組長。若くして病没した。

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試衛館で近藤・土方・沖田が結びつく

天然理心流の道場を核に、多摩・江戸の若者が集まります。

京都で新選組として台頭する

浪士組から壬生の新選組へ進み、池田屋事件などで名を上げます。

戊辰戦争で近藤・沖田・土方が相次いで失われる

近藤処刑、沖田病死、土方戦死で組織は終幕します。

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試衛館の絆から京都、新選組、箱館戦争へ散った三家を読む

試衛館で近藤・土方・沖田が結びつく

天然理心流の道場を核に、多摩・江戸の若者が集まります。

京都で新選組として台頭する

浪士組から壬生の新選組へ進み、池田屋事件などで名を上げます。

戊辰戦争で近藤・沖田・土方が相次いで失われる

近藤処刑、沖田病死、土方戦死で組織は終幕します。

このページの見方

詳細な事件や人物数を増やしすぎず、家の流れ、転換点、次の時代への接続を優先して整理しています。

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武蔵国多摩郡の百姓・武士層から出た若者たちが江戸試衛館(天然理心流道場)に集まり、1863 年に幕府の浪士組として上京したのが起源。近藤勇を局長、土方歳三を副長として京都壬生で「新選組」を結成、池田屋事件(1864)で名を馳せた。戊辰戦争では幕府方として甲州勝沼・会津・箱館と転戦、近藤は板橋刑場で処刑沖田総司結核死土方歳三箱館五稜郭で戦死して組織は壊滅した。本プリセットは血縁家系である近藤・土方・沖田の 3 家の実家と、試衛館の師弟関係をまとめる。

本プリセットの扱いについて

新選組は血縁組織ではなく結社のため、本プリセットは例外的な構造となっている:

  • 血縁部分: 近藤勇(宮川家→近藤家養子)、土方歳三(土方家)、沖田総司(沖田家)の 3 つの実家系譜
  • 結社部分: 試衛館(天然理心流)の師弟関係と組員の絆は、記事本文で描写し、家系図データ(families)には含めない
  • 師弟関係の養子縁組: 近藤周助→近藤勇の養子縁組(1849)のみ Adoption 型で表現

新選組全体の人物相関図(局長・副長・一番隊組長…)のような組織構造は、家系図ずかん v1.2 のスキーマでは未対応。組織ネットワーク表現は Phase 2 以降の data_schema 拡張事項(詳細は reliability_report.md のフィードバック)。


概要

項目内容
組織名新選組(初期: 壬生浪士組 → 1863 年改称)
活動期間1863 年 3 月 - 1869 年 5 月(箱館戦争終結)
本拠地京都壬生 → 屯所西本願寺 → 不動堂村 → 甲州勝沼 → 会津 → 箱館
中核人物近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・斉藤一・原田左之助・藤堂平助
流派天然理心流(近藤・土方・沖田)、北辰一刀流(山南・藤堂)、神道無念流(永倉)

新選組の原点は江戸市ヶ谷の試衛館(天然理心流 3 代目・近藤周助の道場)。1849 年、武蔵多摩の百姓・宮川久次郎の三男・勝五郎が試衛館に養子入りして天然理心流 4 代目・近藤勇となった。同じ多摩の土方歳三、江戸育ちの沖田総司らが試衛館に集まり、道場仲間の絆が生まれた。

1863 年 2 月、幕府の浪士組募集(将軍家茂上洛の警護)に応じて上京するも、浪士組主導者の清河八郎の急進派路線に反発、近藤らは京都壬生に残留して壬生浪士組を結成。会津藩御預となり、同年 8 月 18 日の政変後に「新選組」の名を賜った。

1864 年 6 月 5 日の池田屋事件で京都三条の旅館に集まっていた尊攘派志士を急襲、桂小五郎(木戸孝允)を取り逃がしたものの、宮部鼎蔵・吉田稔麿・北添佶摩ら 10 名以上を討伐、9 名を捕縛する戦果で一躍名を知られた。以後、7 月の禁門の変でも幕府方で活躍、ピーク時には 200 名以上の隊士を抱えた。

しかし 1868 年 1 月の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗北すると、新選組も没落。江戸帰還後の 3 月、甲陽鎮撫隊として甲州勝沼で新政府軍と戦い敗北。4 月、近藤は下総流山で捕縛されて板橋刑場で斬首(享年 35)。5 月、結核の沖田総司が江戸千駄ヶ谷で病死(享年 25 前後)。土方歳三は会津・仙台を経て蝦夷(北海道)に渡り、榎本武揚の蝦夷共和国で陸軍奉行並として箱館戦争を戦ったが、1869 年 5 月 11 日、五稜郭近くの一本木関門で銃弾を受け戦死、享年 34。


代表人物

1. 近藤勇(1834-1868)— 新選組局長

武蔵国多摩郡上石原村の百姓・宮川久次郎の三男、幼名勝五郎。1849 年、15 歳で江戸市ヶ谷・試衛館の近藤周助の養子となり、1861 年に天然理心流 4 代目を襲名して「近藤勇」を名乗った。

1863 年、幕府浪士組に応募して上京、京都壬生で新選組局長池田屋事件(1864)で尊攘派志士を弾圧、一気に名を揚げた。隊内では局中法度(違反は切腹)を徹底、土方とともに鉄の規律で組を運営した。

戊辰戦争では江戸退却後、甲陽鎮撫隊隊長として甲州勝沼で新政府軍と戦い敗北。下総流山で捕縛され、1868 年 4 月 25 日、板橋刑場で斬首された。享年 35。辞世「孤軍援け無く君恩に報いんと欲す 一死願わくは節に酬いて君に忠ならん」。

2. 土方歳三(1835-1869)— 鬼の副長、最後の新選組隊士

武蔵多摩の豪農・土方義諄の末子(10 人兄弟)。父は歳三出生前に死去、母も 6 歳で失い、兄姉に育てられた。若年期は石田散薬(家伝薬)を売り歩きつつ江戸で剣を学び、試衛館で近藤勇と義兄弟の誓い。

新選組副長として隊務を取り仕切り、厳格な規律で「鬼の副長」と恐れられた。芹沢鴨暗殺(1863)、山南敬助切腹(1865)、伊東甲子太郎暗殺(1867)などの内部粛清は土方の主導とされる。

戊辰戦争後期は土方が主導権を握り、会津・仙台を経て蝦夷地へ渡海、榎本武揚の蝦夷共和国で陸軍奉行並。1869 年 5 月 11 日、五稜郭近くの一本木関門で新政府軍の銃弾を受け戦死、享年 34。新選組最後の隊士として散った。辞世「よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも 魂は東の君やまもらむ」。

3. 沖田総司(1844 頃 -1868)— 天才剣士、結核の天使

白河藩(江戸屋敷)の足軽小頭・沖田勝次郎の長男、幼名宗次郎。父は総司出生後まもなく死去、姉みつ夫婦に育てられた。9 歳で試衛館に入門、天然理心流の天才剣士として 12 歳で目録を得た。

新選組結成時は一番隊組長、剣術師範を兼任。池田屋事件の中心人物として突入隊の先頭に立った。しかし事件の直前に喀血(結核の初期症状)があったと伝わり、以後病状が進行。鳥羽・伏見後は江戸に戻り、幕府医官松本良順の看護のもと千駄ヶ谷で療養、1868 年 5 月 30 日に病死、享年 25 前後(1842 年生まれ説なら 26)。

司馬遼太郎『燃えよ剣』(1964)などの歴史小説で無邪気な美少年剣士像が定着し、現代の漫画・アニメ・ゲームでは戦国の小早川秀秋・幕末の沖田総司が「天才武将の儚い美学」の象徴となっている。

4. 近藤周助(1792-1867)— 新選組の種を蒔いた養父

天然理心流 3 代目宗家、江戸市ヶ谷の試衛館道場主。1849 年、武蔵多摩の宮川家から 15 歳の勝五郎(後の近藤勇)を養子に迎え、天然理心流 4 代目として育てた。周助自身が新選組を作ったわけではないが、試衛館の仲間関係(勇・歳三・総司・左之助・平助ら)が新選組の母体となったため、新選組の原点の一人。1867 年に没し、愛弟子たちの戊辰戦争の結末は見なかった。

5. 沖田みつ(1833 頃 -1907)— 弟を送り出した姉

沖田総司の長姉(妹にキン、弟に総司)。父勝次郎死去後、夫・林太郎とともに幼い弟総司を養育し、江戸試衛館に預けた。総司の肺結核発病後、江戸帰還直後の総司を一時看病したが、家族とともに庄内藩へ脱出したため死には立ち会っておらず、総司は家族に看取られず単独で病死した。戊辰戦争で夫林太郎は新徴組(しんちょうぐみ)の組頭として江戸市中警護にあたり、主家(庄内藩)に従って戦い生還。みつ自身は 1907 年まで生き、新選組関連の証言を数多く残した貴重な記録者。


試衛館グループと新選組結成

試衛館の中心人物は以下:

流派人物後の役職
天然理心流近藤勇局長
天然理心流土方歳三副長
天然理心流沖田総司一番隊組長・剣術師範
天然理心流井上源三郎六番隊組長
北辰一刀流山南敬助総長(後切腹)
北辰一刀流藤堂平助八番隊組長(油小路事件で戦死)
神道無念流永倉新八二番隊組長(戊辰戦後、松前藩で生還、回顧録『浪士文久報国記事』を著す)
一刀流斉藤一三番隊組長(戊辰戦後、警視庁にて勤務、1915 年没で最長生存)
種田流槍術原田左之助十番隊組長(上野戦争で負傷死)

京都着後、芹沢鴨(水戸出身、初代筆頭局長)と組織合流したが、1863 年 9 月、近藤・土方らが芹沢一派を暗殺して実権を掌握した。


戊辰戦争と新選組の終焉

鳥羽・伏見の戦い(1868 年 1 月)

慶喜警護の新選組は伏見奉行所に布陣、1 月 3 日からの戦闘で敗北。井上源三郎が戦死、近藤は負傷して大坂へ退却。

甲州勝沼の戦い(1868 年 3 月)

甲陽鎮撫隊として甲府城を目指すも、新政府軍(板垣退助ら)に先着されて 3 月 6 日に敗北。永倉新八・原田左之助は近藤と対立して離脱、靖兵隊として別行動に。

近藤勇処刑(1868 年 4 月 25 日)

下総流山で近藤勇が薩摩藩に出頭するが、正体を看破されて江戸板橋で斬首。享年 35。

沖田総司病死(1868 年 5 月 30 日)

江戸千駄ヶ谷の松本良順邸で結核により 25 歳前後で病死。新選組最期を見ずに逝った。

会津・仙台・蝦夷(1868 年後半 - 1869 年)

土方歳三は会津戦争(8-9 月)で奮戦するも会津落城、仙台で榎本武揚艦隊に合流、10 月に蝦夷へ渡海。五稜郭で蝦夷共和国を樹立するも、1869 年 3 月から新政府軍が上陸・総攻撃。

箱館戦争・土方戦死(1869 年 5 月 11 日)

五稜郭攻防戦の中、土方歳三は一本木関門で戦闘指揮中に銃弾を受けて戦死、享年 34。5 月 18 日に五稜郭開城、新選組は完全に壊滅した。

生き残った隊士たち

  • 永倉新八(1839-1915): 松前藩に復帰、明治後も生き、76 歳で没。『浪士文久報国記事』という回顧録を残す
  • 斉藤一(藤田五郎、1844-1915): 会津戦争を生き延び、明治政府の警視庁警部として勤務、西南戦争にも出動
  • 島田魁(1828-1900): 記録係、詳細な『島田魁日記』を残す

これらの回顧録が、現代の新選組研究の基礎史料となっている。


出典

ランクA

  • Wikidata: Q467334(勇)、Q701182(歳三)、Q267549(総司)、2026-04-22 verified

ランクB

  • 菊地明・伊東成郎『新選組全史 幕末・京都編/戊辰戦争編』新人物往来社

ランクC(Wikipedia、2026-04-22 確認)

ランクD(参考扱い、補助のみ)

  • 司馬遼太郎『燃えよ剣』新潮社、1964

最終更新: 2026-06-21T12:00:00+09:00